「高齢者ホットスポット」の知られざる脅威

それが日常になるから恐ろしい
池田 利道 プロフィール

遅すぎた人生の判断

持ち家の割合を世帯主の年齢別に見ると、30代で大きく跳ね上がり、以後年齢とともに上昇を続けていく。全国でも東京でも、この基本構造に変わりはない。東京23区の65歳以上の持ち家比率は66%。夫婦と子どもの世帯では82%、夫婦2人の世帯では76%だが、ひとり暮らしの世帯だと50%に急落する。

若いうちは引っ越しをくり返していた人も、30代になると持ち家を求めるようになる。子ども部屋が欲しい、子どもを転校させたくないと考えるのは親心そのものだろう。定住はそこから始まるのである。

彼らの最大の関心事は子育て。次に続くのが通勤の便だ。しかし、やがて生活を取り巻く環境は変わっていく。末子が高校や大学を卒業し、子育てが終わったとき。定年を迎えたとき。雇用延長も終わり、働くことが生活の主から従へと移ったとき。人生の転機を経るにしたがって、子育ても通勤も次第に頭の中から消えていく。

にもかかわらず多くの人たちが、子育て・通勤を重視して選んだはずのまちに定住を続ける。上のデータはこの事実を端的に物語っている。

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ようやく動き出すのは、配偶者が亡くなったときだ。しかし、一人になった親を近くに呼び寄せた途端に身も心も一気に弱ってしまったという話は、枚挙にいとまがない。見知らぬ土地に引っ越せば、子どもや孫が近くに住んでいるという安心感は得られても、それまで営々と築いてきた人間関係は断ち切られてしまう。そんな劇的な環境変化に対応するには、歳を取りすぎなのだ。

 

定住を捨てた先にこそ、花開く

昨今、幼児教育の無償化が大きな政治課題となっている。子どもを産むことと育てることはイコールではないので、幼児教育を無償化したから子どもが増える(=少子化対策になる)とは考えられないが、それでも子育てしやすい社会を作っていくことの大切さに異論はない。

一方、少子化と対をなす高齢化のほうは正直言って打つ手なし。ご近所パワーで助け合い、支え合う、地域包括ケアシステムの仕組みづくりくらいしか前向きな答えが思い浮かばない。

しかし、助け合い支え合うと言ってみたところで、世の中はギブ&テイクだ。自分が元気なうちに助け、支える役割を果たしたという蓄積があってこそ、いざというときに助けられ、支えられる立場に身をまかせることができようものだ。

その意味でも、高齢者と呼ばれる年齢になってからの遅すぎる引っ越しは、家族に負担をかけるばかりの結果になりかねない。だからと言って、「高齢者ホットスポット」に定住し続けるのがいいかとなると、それはそれで「老々介護」によるカタストロフィー(悲劇的結末)の不安が頭をもたげてくる。

【図2】で見たように、まちの新陳代謝を活発化させることは、局地的な高齢化を抑制する特効薬になる。全国的な高齢化を止めることはできなくても、いらぬ不幸や悲劇を減らす役には立つだろう。かつて子育てや通勤を考えて選んだまちが身に合わなくなったとき、定住ならぬ「安住」に埋没することなく、自ら新陳代謝の実践者となるチャレンジをすること。老後の生活を充実させるカギは、どうやらここにありそうだ。