山尾志桜里と高市早苗から考える、実は深い「夫婦別氏」問題

「戸籍」が話題になった1年を振り返る
井戸 まさえ プロフィール

同氏は伝統でなく新制度

夫婦同氏は「日本の伝統」であり、また「家族の絆」を形成、維持するには不可欠。今も保守派と言われる人たちは、夫婦別氏に反対する理由を高市氏どうようこう掲げる。

しかしながら、「夫婦同氏」と「夫婦円満」は必ずしも同義語でないことは、高市氏夫妻だけではなく、昨今の離婚率の上昇を見れば明らかである。

法的婚のうち、4分の1以上は再婚絡みという数値は、一生に数回姓が変わりうる人が決して少なくない数いるということを示している。

そもそも、夫婦同氏は日本の「伝統」ではない。これだけははっきりと言える。

明治に時を戻してみよう。そもそも氏は武士のもので、国民全体に「氏」が与えられたのは維新後である。つまりはここ150年程のことだ。

明治政府の面々は、民法に先んじて戸籍法を作り、戸籍法は明治4年に制定される。

明治維新は脱藩者たちが成し遂げた社会変革であったが、登録されない脱藩者や無籍の人々が増えることは再び維新が起きる可能性を広げることとなる。明治政府は急いで戸籍制度を作り上げ、国民登録を急いだのだ。

戸籍を作る際、検討されたことの一つは夫婦を同氏にするか別氏にするか、である。結果、婚姻しても女性たちの氏は変わらない「夫婦別氏」が採用された。

そもそも「ウヂ」とは「ウミ(ム)チ(ウミの血)」がつまったものといわれるように、氏は、昔は「血統」をあらわすものだった。婚姻しても夫婦の血は混じることがなかったので、昔は婚姻によって氏が変わることはなかったのだ。

ちなみに、福沢諭吉は「其新家族の族名即ち苗字は、男子の族名のみを名乗る可らず、女子の族名のみを取る可らず」とし、婚姻によって「第三の氏」を創成することを提案している。たとえば「山田」という女性と「佐藤」の男性が結婚した場合は「山藤」といった具合に、である。

しかし、明治政府は富国強兵を目指した国家建設の中で民法を制定するにあたり「家」制度を戸籍という登録システムの制度設計の中に組み入れて行くことが必要となった。

明治31年に制定された民法によって、こうした伝統的「夫婦別氏」から新しい「夫婦同氏」へと大変革が行なわれたのである。

 

夫婦別氏を阻んだ戦後の紙不足

第二次世界大戦後、日本国憲法が制定され、それに伴い民法も改正された。「家」制度を支え担保する戸主の権限はなくなり、婚姻は「両性の合意のみ」で成立するようになった。

その際、戸籍も家族単位でなく個人単位にし、氏も夫婦別氏制度に改正する案が浮上する。

強固な「家」制度で育ち、生きてきた人々にとっては敗戦により様々なシステムが急速に変わって行こうとすることに抵抗するものも多かった。

民法改正においては保守派と改革派が激しくせめぎ合う。そうした中で司法省(現在の法務省)は、個人籍を作るには資材が足りない、つまりは「紙不足」でできないという格好の言い訳を考え出す。

実際、個人籍を望んだといわれるGHQにはそう回答し、環境が整い次第、個人籍を実現し、夫婦別氏制度に改正するとした。

しかし、とっくに「紙不足」が解消され、さらにはコンピュータ時代が到来、データ管理ができるようになり、むしろペーパーレス化となっているのだが、個人籍も、夫婦別姓も現在に到るまで実現していない。