「俺の子供がもし殺されたら…」世界の難民と会って感じた大切なこと

いとうせいこうと「国境なき医師団」
いとう せいこう プロフィール

ジャーナリストではなく、作家だから書けること

――「ジャーナリストの方法ではなく、あくまで作家のやり方で脱線や私的こだわりを綴っていく」と書かれていますが、「作家のやり方」というのは具体的にどういうことでしょうか。

たとえば、第2章「ギリシャ編」では、帰りの飛行機で、隣の席にいた中東系の男性の描写をしてるんですが、やがてその人物が、話本体に入り込んでくる。この部分はフィクションなんです。

 

アメリカの作家のスティーブ・エリクソンが、『リープ・イヤー』というアメリカ大統領選のルポを書いているんですが、僕はそのルポが大好きなんです。ルポの途中にフィクションが入りこんでくるんだけど、そのことによって前後の場面がかえって鮮明になるんですよ。そんないろいろな作家から影響を受けた書き方をしているという意味でも、この本は小説的なんですよね。

――そのような小説的な書き方が、読者にとっては関心をつなぐものにもなる。

そう。そういう伏線を貼って、どんどん膨らませていく。そして最終章になって、いったいそれまで自分が見ていた飛行機の隣席の男の存在とはなんだったのか。良心の問題なのか、それとも世界の困難の象徴なのか、考えて自分なりの結論に至っていく。そんな展開も、最初にプロットがあったわけではなくて、作家としての生理でまとめているんだよね、

ウガンダで見た福島のトラックの衝撃

――『想像ラジオ』で東日本大震災の死者のことに心を寄せたいとうさんが今、世界で困難を抱えている人を書かれるということに感銘を受けたのですが、そのあたりについてはいかがでしょうか。

本の中の写真にあるようなテントを見たとき、東日本大震災の被災地を思い出したんですよね。あっと思った。自分たちは別のものとしてとらえているけれども、世界から見たら、難民が生じているという意味では変わりがなかったんだって。

アテネ近郊の港に並ぶ難民キャンプのテント Photo by いとうせいこう

たまたまウガンダで、「福島」と荷台の後ろに書かれた日本製のトラックが前を走っているのを見たんだけど、不思議な感じでしたね。福島から来たトラックが、自分たちと他人事の問題だと思っているなよ、と言ってるように見えて。おまえの問題でもあるんだから、と言われたような気分になった。

ウガンダで見かけた、「福島」と書かれたトラック Photo by いとうせいこう

――日本には他人事だと思っていて、行ってみたらそこにいるのは同じ人たちだった、つながっているんだぞ、というのが、読んでいる方にとってもハッとします。

書いているときは意識していなかったけれども、だんだんわかってきた、これ自分のことじゃないかと。「あなたがそこにいる彼であったかもしれない」ということだよね。

日本の人々が難民になるとき

たとえば、もし日本がアメリカの戦争に巻き込まれて、爆撃されることになったら、そのとき、自分たちは船で海を渡らないと言えますか。難民になりますよ。

難民キャンプできれいな格好の中流階級の人たちが大勢いるのを僕は見た。僕らがそうなっても不思議じゃない。でもいまは、その想像力が切られてしまっていると思ったわけ。メディアでも、そういうことは防御されてしまって伝えられていない気がする。

国内の問題について発言しようとすると、今は難しい。ネットの時代になって、何か言うとすごくいろんな意見が返ってきて、ものが言いにくい社会になってしまった。だから外に行こうと思った、ということもあります。

でも、外に行って書いていることは、実は全部内側につながっていることで、自分たちの国に起きている問題を裏返しにして語れることになっちゃったんですよね。