爆弾テロから部下を守れ!誇り高き「山一マン」の物語

会社のために命を賭けた社員がいた
清武 英利 プロフィール

誰かが見ていてくれる

テロは6人の死者と1000名以上の負傷者を出し、犯人たち4人が実刑判決を受けた。

家族との再会を喜び合ったあと、梶原たちはウォール街に臨時のオフィスを借り、事務作業をした。WTCの復旧が終わり、元のオフィスに戻ったのは約1ヵ月後のことである。

ビルのオーナーから贈られたマグカップには、「Welcome Back to the World Trade Center(ワールドトレードセンターへお帰りなさい)」と印字されていた。

 

だが、その後も激務が続く。SECへの対応など、仕事に区切りがついたのは、テロから3年も経ってからのことだ。

その直後、梶原は自宅で倒れ、未明に救急搬送された。心臓が一度止まったと後から知った。一命をとりとめ、「You are a lucky man(幸運でしたね)」とアメリカ人看護師に言われた。

'96年10月、国際企画部の部長として本社に戻り、2ヵ月後に経理部部長に就いた。経営破綻は約1年後に訪れる。混乱のさなか、今やらなければならないことをやろうと誓い、翌'98年3月末まで清算業務に携わった。

自主廃業後、梶原は3人に支えられた。一人は日本原子力発電社長の阿比留雄で、山一破綻の後、「山一のベテランには優秀な人が多いから、積極的に採用しなさい」という指示を出している。再就職活動をしなかった47歳の梶原が同社に入社できたのは、その一言が大きかった。

阿比留の下で、日本のエネルギー安全保障のため、懸命に働いたという自負がある。

10年の区切りを迎えたあと、理美容機器業界のトップ企業であるタカラベルモントに転じた。同社の首脳2人に誘われ、認められて入社している。執行役員監査室長の職務にも就いた。

そこで、地道に自分の役割を果たせばだれかが見ていてくれる、ということを改めて知った。いまも同社で顧問を務める。

山一時代は苦しいことが多かった。今でも思うのは、経営陣が経営危機について若手の社員たちに相談をしてくれていたら、ということだ。山一には優秀な若手がたくさんいた。彼らの知恵があれば、みすみす自主廃業を受け入れることはなかったのではないか。

そこに心残りはあるが、破綻後の人生には大きな苦労を感じなかった。二つの職場で得難い人物たちに出会ったからだろう。どんな人と出会うかで、人生は大きく変わってくる。

妻も山一證券の元社員であった。彼女は、山一社員たちが会社を救うために命がけで闘い続けたことを知っている。だから、会社を守れなかった経営者に、言葉にならない虚しさと怒りを今も感じている。(文中敬称略)

清武英利氏の最新作『空あかり』(講談社)
清武英利(きよたけ・ひでとし)
75年読売新聞社入社。警視庁、国税庁などを担当。'04年より読売巨人軍球団代表。'11年同代表等を解任され、係争に。現在はノンフィクション作家として活動。著書に『空あかり 山一證券〝しんがり〟百人の言葉』(講談社)、『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社+α文庫)など

「週刊現代」2017年12月16日号より