爆弾テロから部下を守れ!誇り高き「山一マン」の物語

会社のために命を賭けた社員がいた
清武 英利 プロフィール

長い一日が終わって…

アメリカ人スタッフに「自宅に電話を入れ、家族からテレビの情報を得てもらえないか」と頼んだ。電話を受けたスタッフの妻は、CNNテレビを見て愕然とした。

WTCが燃えている。「でも、燃えているのはアンテナのある第1ビルの方よ!」と妻が叫ぶ。それならなぜ、煙の勢いが増しているのか。

別のスタッフに電話で聞いてもらうと、燃えているのは梶原たちの「アンテナのない方」だという。実際には両ビルに煙は広がっていた。絶望が室内を満たしていく。

数機のヘリコプターがツインタワーの周りを旋回していた。「HELP」「SOS」という紙を窓にかざした。梶原は社員一人ひとりに電話をかけるように勧めた。あるいは最後になるかもしれないのだ。

たった一本の回線を使って全員が家族に別れの言葉を告げるのには2時間かかった。梶原も最後に自宅に電話をかけたが、誰も電話には出なかった。

 

妻は6歳の次男とスーパーに買い物に出ていた。煙が濃くなり、息苦しさが募ってくると、梶原は幹部を集めた。

「窓を割ってはどうだろうか」

超高層ビルに開閉式の窓はない。全員が賛同し、スタッフが椅子を振り上げた。その瞬間、向かいの「アンテナのある方」のビルから大量の紙片が舞い上がるのが見えた。

窓ガラスを割った結果、気圧の関係で内部の空気が一気に放出されたのだ。人間までが飛ばされそうな勢いに見えた。

「Wait!」。全員が叫んだ。

爆発から約4時間後、突然、命綱の電話が鳴った。ニューヨーク消防署からだった。

「屋上にヘリを着陸させて救助に向かいます!」

午後4時30分、屋上に降り立ったレスキュー隊が98階に突入し、叫んだ。「もう大丈夫です」。歓声が上がり、誰もが隣にいる社員と抱き合った。

救助隊員はライトのついたヘルメットをかぶり、斧を手に梶原たちを階段へと導いた。約100人が整列をした。責任者である梶原は最後尾である。

まず97階。そこで隊員が斧でドアを叩き割る。ビルのドアは3階にひとつしか開いておらず、叩き割らなければその階の人々を救助できない。救助をするたびに止まり、また進む。

それを繰り返して梶原が地上に着いたときには午後6時半になっていた。2時間も階段を降り続けたのだ。その場にへたり込んだ。

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地上は大混雑で、仲間を探すのがやっとだった。近くのホテルに行って、水とコーヒーで休息をとった。地下鉄が止まっているという。

梶原は足をひきずるようにして4キロを歩き、フェリーでハドソン川を渡り、ニュージャージーにある自宅に帰り着いた。午後8時だった。

「死ぬかと思ったよ」

よれよれのコート姿の彼が言った。顔は煤だらけで、手も爪も、鼻の中まで真っ黒になっていた。長い一日の終わりだった。妻の眼から涙があふれた。夫たちは命を賭けて社員と会社をテロ攻撃から守り、無事に帰ってきた。