爆弾テロから部下を守れ!誇り高き「山一マン」の物語

会社のために命を賭けた社員がいた
清武 英利 プロフィール

「私には責任がある」

98階は、フロア全体を山一證券グループが占めていた。その中に、梶原や幹部の部屋があり、150名の部下が梶原を迎えた。

十数名の日本人職員はいるが、大多数はアメリカ人である。初出勤の日は曇天で眼下に雲が見えた。正面にエンパイアステートビル。懐かしい光景だった。

実は、梶原にとってこれは2度目の山一アメリカへの赴任である。最初に赴任をした1987年には「ブラックマンデー」と呼ばれる株価大暴落が起こり、多数の自殺者が出た。

――今回の赴任では何もないといいけれど。

だが、それから18日後に事件は起きる。

2月26日、二人の男が黄色いバンを走らせていた。ニュージャージーで借りたその車は、雪の中を東へと向かい、州境であるハドソン川のトンネルをくぐり抜けてマンハッタンに到着すると、WTCを目指した。爆発物を多数積み込んだバンが地下2階駐車場に入ったのは、正午過ぎのことである。

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梶原はそのころ、今日は寿司弁当でも買って食べようか、と思っていた。多くの日系企業が入るWTC1階で、日本食を手に入れることができる。だが、その日は妻が弁当を持たせてくれたことを思い出し、自室で弁当の蓋を開いた。

10分後、突如、雷のような音が鳴った。爆薬を積んだテロリストのバンが地下2階で爆破し、30メートルもの大穴を開けたのだった。ビルの電気系統を断ち切ると同時に、一気に最上階にまで煙を巻き上げていった。

寿司弁当を売っている1階中央広場の天井も崩落している。愛妻弁当がなければ、たぶん彼は崩落に巻き込まれていた。

ビルが少し揺れ、照明が消える。社員の多くが窓際に集まり、400メートル下の地表を不安そうに眺めた。慌ててオフィスを飛び出したスタッフもいた。爆破されたことをまだ誰も知らない。

 

冬の雷かな、と思っていた梶原が異変に気付いたのは、弁当を食べ終わった直後だ。

ガラス越しに見た真っ暗な廊下に、白煙が充満している。仰天した。何が起きたか分からないまま、大部屋にいた100人の部下を集めた。パニック状態になるのは避けなければならない。必死で声をかけた。

〈I have a responsibility for saving lives of all of you(私には、全員の命を守る責任がある)〉。だから、今は動かないでくれ、と繰り返した。

飛び出したスタッフが戻ってきた。非常階段も電灯が消え、煙が充満して脱出不可能だという。電話も通じなかった。ようやくビルが燃えているのだと悟った。籠城するしかない。煙が入ってこないよう、オフィスの玄関ドアにガムテープで目貼りをした。

ところが、トイレは廊下の外にある。テープを外せば大量の煙が入ってくるが、最終的にトイレに行くことを許可した。煙が流れ込み、息苦しさを増す。

梶原はハンカチで口を押さえた。ネクタイで代用していた者もいる。一人が泣き出すと他の女性社員も泣き叫び、室内は騒然となった。

現場にいる多くが『タワーリング・インフェルノ』を思い浮かべた。'74年に公開された超高層ビル火災のパニック映画である。

――このまま煙と火にまかれ、黒焦げになるのか。諦めに近い気持ちを抱いたときに思い出した。社内にはエマージェンシー(緊急)ラインがある。通常回線が不通になっても、緊急ラインは繋がるはずだ。

密閉されたコンピュータールームに梶原は飛び込んだ。受話器を取り上げると、「ツー」という通信音が聞こえる。天使の声に思えた。