この国の「同調圧力」と戦った元特攻兵の告白
日大アメフト問題と同じ構造だった!〈建前は志願制の特攻だが実態は程遠い。爆弾だけを落とし生還する青年は露骨に「次こそ死ね」と言われるが、理不尽な作戦への抵抗を続ける。〉
〈大学の運動部でボールを追う技を磨いた若者が「相手をつぶせ」と命じられた。練習を干し自ら反則するよう大人が追い込んだ節もある。〉
2018年5月25日付の日本経済新聞コラム「春秋」は、戦時中の特攻兵と、日大アメフト部問題との関連・類似性を鋭く指摘していた。
戦後73年たった今でも、この国の組織の至るところで強力な「同調圧力」が存在するのではないか。理不尽なことを部下に押しつけたまま、責任を取らない上司がたくさんいるのではないか――『不死身の特攻兵』を著した鴻上尚史氏が2017年11月に執筆した下記の論考をもとにあらためてふりかえってみたい。
この人の生涯を伝えたかった
ありがたいことに、『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』は発売2週間で4刷りが決まりました。僕自身、どうしても書きたかった本なので喜びもひとしおです。
9回出撃して9回生きて帰ってきた、陸軍第一回の特攻兵、佐々木友次さんにどうしようもなく僕は惹かれました。
札幌に入院していた92歳の佐々木さんに会いに行く時、僕の心は弾みました。忙しい仕事の合間を縫って、強引なスケジュールで札幌に飛んでも、少しも嫌な気持ちになりませんでした。
どうして、こんなに惹かれるのか。どうしてこんなに、佐々木さんの生涯を本にしたいと熱望したのか。自分でもその感情の強さが不思議でした。
それが、担当編集者が本の宣伝のために書いてくれた文章を読んでハッとしました。
最後の「命を消費する日本型組織」という表現が胸に突き刺さりました。そして、すとんと腑に落ちました。
そうか。だから僕は佐々木友次さんの生涯を描くことに熱中したのか。
本書の中で紹介しているエピソードがあります。
『天皇明仁の昭和史』(高杉善治 ワック)からの引用なのですが、1945年8月2日、奥日光に疎開していた明仁皇太子が戦況の見通しを説明に来た有末精三中将に、「殿下、何かご質問はありませんか」と聞かれて、「なぜ、日本は特攻隊戦法をとらなければならないの」と質問しました。
有末中将は、かなり困った顔をしたものの、すぐに気を取り直し、平然と次のように答えたと言います。
「特攻戦法というのは、日本人の性質によくかなっているものであり、また、物量を誇る敵に対しては、もっとも効果的な攻撃方法なのです」
後半の「特攻は有効な戦法だった」ということが、どれだけ間違っているかは、『不死身の特攻兵』の中で書きました。
拙劣な機材で未熟な操縦士を、ただの一回だけ送り出す戦法は、フィリピン戦の初期において、なんとか結果を出すことができていても、すぐに有効ではなくなりました。
その事実に目をつぶったことはとても問題なのですが、僕はそれよりも、陸軍中将の前半の言葉に震えます。
「特攻戦法というのは、日本人の性質によくかなっているものであり」
いったい、特攻戦法がよくあう性質の国民とは、どんな人々なのでしょう。