精神科医だから心配する日本人の「心の健康」

第21回ゲスト:和田秀樹さん(前編)

週刊プレイボーイの黄金期を築いた伝説の編集者・島地勝彦が、ゲストとともに“大人の遊び”について語り合う「遊戯三昧」。今回は、精神科医の和田秀樹さんをお迎えして、日本社会に蔓延する「息苦しさ」の原因を考えます――。

映画製作に没頭していた学生時代

島地: おい、日野! おれが週刊プレイボーイの編集長だった頃は、いろんなアルバイトが編集部に出入りしていてな。その中にはシマジの薫陶を受け、後に「功成り名遂げる」となった輩も多い、という話は知ってるよな。

日野: 必ずしもシマジさんの薫陶を受けたからではないと思いますが、当時の週プレ編集部に出入りしていた人に、優秀な人が多かったのは想像できます。

島地: 今回のゲストはその中の一人、精神科医の和田秀樹先生だ。

和田: お久しぶりです。いや、その「先生」はくすぐったいからやめてくださいよ。

島地: じゃあ昔みたいに「ワダ!」で行かせていただきますか。何歳になったの?

和田: 57歳です。週プレの編集部でアルバイトしていたのが大学3、4年の頃だから、島地さんと初めて会ったのは、もう35年くらい前になりますね。

日野: 35年前というと、ぼくはまだあそこに毛がなく、つるつるだった頃です。

島地: 毛深いお前にもそんな時代があったのか。まあ、そんなことはどうでもいい。で、あの頃は人の出入りが激しくてちゃんと聞く機会がなかったけど、どうして週プレでバイトすることになったんだろう。

日野: 確かに、東大の医学部生と週プレとの接点は気になります。

和田: 医学部には入ったものの、当時のぼくのアタマの中には映画のことしかなく、勉強はほとんどしないで自主映画作りに没頭していたんです。

名前は伏せますけど、数年前に大麻所持で世間を騒がせた某女優を主演にして制作していたものの、撮影日数が長くなりすぎて事務所が拘束のしすぎだと怒って途中で逃げられ、制作が頓挫して、借金だけが残りました。

週プレ編集部での経験がその後の糧に

島地: その借金返済のために編集部でアルバイトを始めた?

和田: 恥ずかしながら、そんなところです。

東大アイドルプロデュース研究会を立ち上げていた関係で、週刊誌の方々とはそれ以前から接点があったんです。「水着になれる女の子いない?」と相談されたら、「どうぞ!」と紹介するようなこともしていて。で、ぼくが借金抱えて困っていることを知った週プレの編集者に、「じゃあ、うちでアルバイトでもする?」と、声をかけていただいたのがきっかけでした。

島地: なるほど、そういう流れだったんですか。アルバイトだから基本は雑用だけど、あの頃は人手が足りなかったから原稿も書いたりしたでしょう。

和田: そうですね。あそこで原稿を書かせてもらった経験が、後の評論活動の下地になったともいえるので、本当に感謝しています。

日野: 大編集長とザギンで豪遊、なんてこともあったんですか?

和田: そのへんはよく覚えていませんけど、なんせ100万部売っていた時代ですから、編集部内の熱気がものすごかったです。

島地: そうだよね。目がまわるほど忙しかったけど、みんな目がキラキラ輝いていた。ギラギラしたやつも多かった。

和田: 経費もかなり自由に使えたんで、学生の分際なのに、けっこういい思いをさせていただきました。その点でも感謝しています。

島地: 今はどの編集部も、よくない意味でサラリーマン化していて、経費の使い方も実にしみったれている。嘆かわしいかぎりです。