いま哲学は何の役に立つのか? 岸見一郎と大澤聡が考えた

三木清・生誕120年記念対談
講談社文芸文庫

大学の存在意義とは?

岸見 『人生論ノート』は対話形式ではありませんが、三木はあきらかに読者との対話を強く意識していて、読者に呼び掛けている。晦渋な書き方をしてはいるけども、私の言いたいことをきちんと読み取ってくださいねというメッセージで全部がつながっています。

大澤 それについては、『文學界』という媒体に連載されたことが大きいと僕は思っています。そのときに、小林秀雄からいろいろアドバイスを受けたんじゃないかと思う。

戦前に小林たちが運営した文芸誌だったわけですが、三木は1936年に同人になります。小林はある時期から人文の共同戦線を張るべく『文学界』に文学関係以外の書き手たちも次々と巻き込んでいった。

その結果、ジャーナリズム、つまり読者との距離感が三木のなかでかなり組み変わった。『人生論ノート』はあきらかに三木の新境地です(大澤追記:この点については、イベントののちに刊行された『三木清文芸批評集』の解説「文章のスタイルをめぐって」で展開した)。

岸見 それもこれも三木が大学人として生きていたなら、実現しなかったことではないかと思います。昔ほどではありませんが、いまでも一般書を出すと大学ではあまりいいようには思われません。

大澤 三木は京都帝大の哲学科の本流を担っていくと期待された人物でしたが、彼の性格からくる無防備さもあって、女性問題を理由に京大に残れなかった。それで東京に出て法政大学で教えつつ、ジャーナリズムで活躍することになるんですが、思想問題で捕まってしまって法政も辞める。

その後は、フリーランスの批評家として論壇の寵児となるわけですが、この彼のポジションがあれだけの時事評論を書かせたし、独自の哲学を形成させもしたはずです。大学から一歩外に出ていたからこそ、『三木清大学論集』に収録されたような大学論や大学批判も展開できた。

岸見 私はどの大学にも所属していませんが、大学が専門家たちだけの場であってはいけないと思っています。一般の人に開かれた大学であるべきですね。同時にこうも考えています。大学は専門的な知識を伝えていかないといけない。

大澤 三木の大学論もそうした両義性に貫かれていますね。

岸見 私はかつてある女子大で13年にわたって古代ギリシア語を教えていました。ある年、学部長に呼ばれて、来年度からもう来なくていいと言われた。登録学生は多いときで5人、少ないときだと2人程度でした。

 

大澤 古代ギリシア語だとそうなるでしょうね。

岸見 そもそも学ぶ人間が少ないのは古典語の宿命です。それでも、毎年途切れずに受講してくれることをありがたく思っていたし、教授たちも「ギリシア語の講座があることは我が校の誇りだ」と言ってくれていた。

でも、支持してくださる年配の先生方が次々と退官していかれて、あとに残った若い先生たちは受講生が少ないというだけで閉講としてしまった。

大澤 受講生が二人でも一人でも存在するかぎりは、というか、ある年にたとえゼロ人であったとしても、来たるべき学生のために機会を用意しておくのが大学の存在意義。

それなのに、学生に学問の価値判断を委ねてどうするんでしょう。学生に人気がないからその学問は必要ないとでも? 大学の自己否定ですね。この10年ほど、あからさまなまでに数値と証拠の論理で動いている。

岸見 「あなたは自分がなさろうとしていることの意味がわかっていない。いま僕を切り捨てることがきっとそのままご自分に降りかかってきますよ」と言ったのですが、今まさにそんな状況になっていますよね。文学部は解体しつつある。英語学科は増えても、英文科は減るいっぽう。そんな時代になるということを僕は予言していたのです。

大澤 古典文学系のコマ数も減っていますね。くずし字や古文書などを判読できる学生がほとんどいなくなる。別にいいではないかと言う人もいますが、ぜんぜんよくない。これは何を意味するのかというと、過去のドキュメントの大半が無効化してしまうということです。自分たちの手元にある財産をみすみす手放しているんですよ。

近年、大昔に発生した地震の規模や被害状況を記した文書に注目が集まっているし、じっさいに重要なデータとして活用されてもいる。けれど、これらが読めなくなる。地震はあくまでわかりやすい事例ですが、数百年、千年単位で取り組まないといけない文明史、人類史的な課題を前に、言語や文字の部分できっと足元をすくわれる。

大学は時間をかけてスキルを伝承しつつ、来たるべきときに備るためにこそ存在している。その場合、いますぐに役立つかどうかは問題ではありません。未来につなぐ媒介者として存在するのだという自覚。人文系のテキストをじっくり読むとはそういうことでしょう。