およそ1ヵ月後、リモノフから水谷の携帯に電話がかかってきた。画面には「公衆電話」と表示されていた。
職場の電話でもなく、携帯でもない。奇妙だった。
リモノフは都内のレストランを指定し、「お店の前に立って待っていてください」と言った。
予約しているのなら、店の中で待てばいいのに……。
不思議に思いながら従った。水谷が待っていると、リモノフは遅れてやってきて、一緒に店に入った。
「私が店の前で立って待っていると、リモノフは遠くからすっと近づいてくるのです。今思えば、どこかから、私を誰かが尾行していないか、監視している者がいないか、確認したうえで近寄ってきていたのだと思います。
個室ではなく、テーブル席で、会話は雑談ばかりです。どこの部署でどんな仕事をしているのとか、家族の話とか、趣味は何だとか。
食事をしながら軽くお酒を飲んで、だいたい1時間くらいで切り上げました。リモノフはほとんど酒を飲まなかったですね。時間の無駄かなと思うこともあったくらいです。
食事代はリモノフが払いましたが、私が奢ったことも一度ありました」(水谷氏)
会話の主導権はリモノフが握り、水谷が聞きたい中国の話にはならなかった。
一度、話題の種にと、水谷は中国共産党大会の人事予想を作成して、リモノフに渡した。
「これはオモシロイ。よくかけていますね。さすがです」
リモノフは目を丸くしてこう言った。
「遊び半分で書いた者で、誰でも書けるような人事予想です。でも外交官から褒められると少し嬉しくもなりました」(水谷氏)
やがてリモノフの任期が来て、モスクワに帰任することが決まった。
「後任を紹介させてほしい」
虎ノ門のレストランに連れてきたのが、グリベンコ一等書記官だった。肌が浅黒く、ひげの濃い大柄の男だった。
![[写真]水谷氏が描いたグリベンコ一等書記官の似顔絵(提供:竹内明)](https://gendai.ismcdn.jp/mwimgs/2/e/-/img_2e484a0fccb212f172521b8a8f672058249926.jpg)
「水谷さんはすごく能力の高い人なんです。中国共産党の人事をすべて言い当ててしまうのですから」
リモノフはグリベンコにこう言った。
「グリベンコは物腰が柔らかく、ジェントルマンという感じでした。日本語も上手で、会話に不自由は全くない。見識も豊かで、有能な外交官なんだろうなあ、という印象でした」(水谷氏)