実録!日本のクリスマスが「女と男のイベント」に変わっていくまで

押し付けに直面した当時の僕は…
堀井 憲一郎 プロフィール

1982年のドメスティックなクリスマス

そして、この年から付き合い始めた女性がクリスマスをロマンチックに過ごすことにとても熱心だった。

彼女は大学2年(1962年生まれ)で、西武新宿線沿線で一人暮らしをしていたので、彼女の部屋でクリスマスイブを過ごすことになった。このへんがまだ、好景気に突入していない1980年代前半らしい風景だとおもう。

大学生カップルが予約できそうなレストランが、なかったのだ。というか、世の中に「若者のための高級なもの」が用意されていなかった。

言ってしまえば、社会全体がいまより貧しくて、だから特に若者は金を持っていないと見なされていた。

雑誌にしても『Angle(アングル)』という東京のタウン情報誌があるくらいで、わかりやすくレストランを一覧にしたものはほとんど見かけなかった。雑誌のポパイやホットドッグプレス(たぶん、アンアンやノンノなどにも)レストラン情報は載っていた。しかし、何というか、断片情報なのである。一覧になってないし、一覧のある本は玉石混交の雑多な情報が並んでいるだけで選びにくかった。

いいなあとおもったレストラン記事は、記憶をたどって雑誌の山を次々とひっくり返して見つけ出さないといけないし、そういうことをして見つかったことがない。そういう時代である。

このあたりは、1984年からライターとして雑誌に関わりだしたので、わりと鮮明に覚えている。街場の情報が若者に分かりやすく提示され始めるのは、私の感覚では1985年からだった。そこから若者がデートでどこに行けばいいのかというマニュアル本が出回り始めた。

1982年や1983年はその少し前で、少し前ということは「若者デートのために整理された情報はほぼ存在したなかった時代」である。少し前だろうと遥か前だろうと、前であるかぎり、ないものはない。

1982年のクリスマスは、彼女の部屋で手作りで過ごした。ちょっとがんばってワインを買ってきて、クリスマスらしいチキン料理を作って、プレゼントを交換した。

ちなみに当時のワインはふつうのもので1本2000円くらいした。1000円のワインを買った覚えがない。1982年の東京人を2017年のスーパーのワイン売り場に立たせると、その安さに恐ろしく驚くはずである。当時は、ワイン一本買うだけで、かなりの贅沢な気分になった。

部屋も飾った。

襖と鴨居がある和風の部屋だったけれど、そこを洋風に飾って、手製のチキン料理を食べた。それが1982年のクリスマスだった。

ロマンチックといえばロマンチックであるが、ドメスティックでもある。奇妙に土俗的だった。

彼女は満足したようだったが、私は意味がわからなかった。なぜ、子どものお楽しみの日であるクリスマスイブにこういうことをしなければいけないのか、わからなかった。

そういうことを女性は説明してくれない。察しろと言われる。そんな能力を持っている男性は、地上にはほぼ存在しないことに女性はなかなか気付いてくれない。とにかく理由はわからないまま、黙って彼女のやりたいことに付き合っていた。たぶん、日本中で何百万人もの若い男子が同じ行動を取っていたのだろう。

レストランを予約してなくて…

1985年の後半くらいから日本は好景気に入り、浮き足立ってきた。それにつれていろんなものが変わっていった。

1982年はつましいクリスマスイブを過ごしていたのだが、1985年にはフランス料理店に行くようになっていた。そういう浮き足立ちかたである(ただクリスマスイブは混雑するからということで、私はその何日か前に行った)。

情報が整理され、若者に向けて開示され、恐怖感が薄れたからでもある。値段はそんなに安くなっていない。一人1万円以下という店は見当たらなかった。でもいくら持って行けばいいのかという見当がつくだけで、行きやすくなる。

それまでは情報が制限されていた。情報を取るにも経験が必要だったのだ。情報より経験の社会だった。それが崩れ始めた。それはクリスマスがロマンチックになっていくのと連動していた。

男性誌が若い男性に向けて、クリスマスデートのマニュアルを丁寧に指導し始めるのは、1987年からである。ロマンチックな空気が目立ちだしたのは1980年代の初頭で(私の周辺では1982年)、この数年のタイムラグの現場が大変だった。モデルも手本もなく、手探りで「恋人たちのクリスマスイブ」を試行錯誤するしかなかった。