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株の三賢人が集結!「前代未聞のこの相場。どうすれば儲かるか」

安藤富士男×伊藤嘉洋×植木靖男

兜町に飛び込んではや40年以上、相場とはつくづく「勘」だね。人生を懸けて鉄火場を生き抜いてきた者だけにわかる、儲けの匂いってもんがある。今回は特別だ。その秘中の秘を教えようじゃないか。

昭和43年大相場と平成バブル

植木 日本株はいま約26年ぶりの高値だと騒がれていますが、確かに久しぶりにワクワクする相場です。

私がいま過去の大相場で思い出しているのは、昭和43年の大相場。当時は証券不況がまだ続いていて、昭和42年の暮れには証券界は悲観的で真っ暗だった。

ところが、年明けから株価が急に上がり出したと思ったら、日経平均株価は1200円くらいから1800円くらいまで急上昇を描いた。当時、そんな大相場になることを予測したのは、たったひとりだけ。吉田虎禅さんでした。

安藤 吉田さんは有名な相場師でいらっしゃいますよね。

伊藤 私は昭和44年に結婚したんですが、当時の月給は3万円ほどで、うち1万円が家賃に消えていく。東京証券取引所の場立ちをやっていましたが、妻と二人でギリギリの生活。

子供ができたらどうしようと思っていたら、目の前で相場がぐんぐんと上がっていくわ、給料も上がっていくわで、不安など吹き飛んでしまった。すごい活況でした。

植木 あの大相場を牽引したのが外国人投資家でした。当時はまさに第一次外国人投資家ブームだったんです。

その数年前に外国人が日本で最初に作った『ジャパンファンド』というのがあったんですが、新入社員のとき、私はそのファンドのレポート担当でしたからよく覚えています。現在の相場も外国人投資家が牽引しているので、似ていますよ。

伊藤 あの時はいざなぎ景気の真っ最中。翻って、現在の日本がそのいざなぎ景気を超える景気拡大局面に入っているというのも感慨深いですよね。

安藤 私が山一證券に入社したのは昭和46年。大相場を実感したのはやはり1980年代後半の平成バブルですね。

当時は住友銀行、中央信託銀行などの機関投資家を担当していたんですが、売買代金が一回で数億円。多い時には1日で100億円を超えていましたよ。

当時は、伊藤さんがおっしゃったように、場立ちが取引所の中で株を売買していたので、商いが増えたり株価が上がったりすると、大きな拍手が鳴り響くんです。その光景を見るだけで活況がまざまざとわかった。

植木 取引所にいると、場立ちさんがワーッと動いたりする。熱気がフロアに溢れていましたよね。

伊藤 そんな平成バブルにしても、相場を大きく持ち上げたのは外国人投資家。'88年9月に裁定取引が解禁になり、日経225の先物取引ができるようになった。すると、外国人投資家が日経225に採用されている銘柄のうち30銘柄くらいをまとめて一気に買い上がっていったんです。

現場で見ていてすごいなと思ったのは、株価が低迷していた松坂屋、東宝、片倉工業などの株価が300円くらいから3000円くらいまで値上がりしていくんです。

そうして踏み上げ相場が演出されていくから、日経平均株価も1年で1万円以上値上がりして、'89年末の3万8915円へ一気に駆け上がっていった。

植木 それもいまの相場と似ていますよね。

伊藤 はい。いまも集中的に株価が上がっているのは、日経225に採用されているファーストリテイリング、ソフトバンクグループ、ファナックなどの値嵩株。それが日経平均株価を押し上げて、約26年ぶりの2万3000円台という高値を演出しています。

安藤 計算してみたんですが、今年の9月末から10月にかけての日経平均株価の急上昇というのは、そのうち15%ほどはファナックとファーストリテイリングの2銘柄。この2銘柄の値上がりで説明できるんです。

あと、平成バブルの時は'89年10月から厚生年金基金が株式運用をできるようになって、それで年末の3万8915円へとのぼっていった面もある。

いまはGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が日本株を大量に買っていて、その意味でも状況は似ています。