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北の工作員が日本人拉致を続々実行する契機となった「ある事件」

私が出会った北朝鮮工作員たち 第8回
竹内 明 プロフィール

それでも、工作員の侵入を許した「裏事情」

ナミによる位置特定の錬度は徐々に高くなっていた。

1999年に能登半島沖での工作船が出没し、追跡に当たった海上自衛隊に海上警備行動が発令された事案があったが、このとき工作船の位置をいち早く特定したのは大阪府和泉市の信太山の通信所だった。

それでも、拉致被害は続き、北朝鮮工作員は日本への侵入を続けてきた。なぜだろうか。私が取材した公安捜査員が最初に指摘したのは、通信所も万能ではなかったということだ。

「船の大きさによって電波の高さが違う。大型母船でないとナミはキャッチできない。半潜水艇やゴムボートだと波より低いので、電波傍受は難しかった。

それに、本国からのA3放送を傍受しても、捜索で乱数表を入手しない限り、暗号の内容まで突き止めることはできない」(公安捜査員)

 

さらに、公安警察のキャリア幹部の口からは、憂うべき日本警察の実態が浮かび上がってきた。

「日本人が拉致されるのは、工作員が日本から脱出するときです。

しかし、通信所が電波をキャッチしても、日本海側の県警本部では、外事課を置いているところは少ない。

警備部公安課に5~6人の『外事右翼係』がいる程度です。とてもじゃないが、長い海岸線を小さな県警の外事課員でカバーするなんて無理。まさにザルでした。

こちらの手の内を明かさないために、県警本部に総動員をかけることもできなかった」(公安警察キャリア幹部)

なぜ、日本警察は外事課に人手を回せなかったのか。こんな理由をあげる公安捜査員もいる。

「当時の公安警察の捜査員はほとんどが極左対策にあてられていた。外事はソ連対策が中心で、北朝鮮対策は二の次だった」(公安捜査員)

さらには、公安警察の「読み違い」が拉致被害の拡大を招いたと悔やむ声も警察内部からは漏れ聞こえてきた。

「北朝鮮工作員の日本上陸の目的については、公安警察内部でも『工作員の目的は韓国革命のためであって、朴正煕政権下で警戒が厳しくなったソウル潜入のために、工作員たちは日本を経由しているにすぎない』という分析が根強かった。諜報活動のために日本人を連れ去っているという危機感は少なかった」(警察キャリア)

「45~50歳の日本人を北朝鮮に送り込め」

さらに、警察の体制の問題だけではなく、捕まえた工作員を刑事訴追するときにも大きな壁があった。

公安警察で外事を担当した経験のある誰もが口を揃えて指摘するのが、検察の姿勢だ。とりわけ「宇出津事件」(うしつじけん)の捜査で生じた検察への遺恨は根深い。

宇出津事件とは1977年9月、東京・三鷹市の警備員・久米裕(ゆたか)さん(当時52歳)が、石川県の宇出津海岸で拉致された事件だ。このとき、警察庁の無線通信所は数日前から特殊電波を傍受していた。

KB情報の発令を受けて石川県警が警戒を強めている中、1本の通報が入る。

通報者は能都町(現・能登町)宇出津にある旅館「紫雲荘」の女将。夜に出かけた2人の男性宿泊客の挙動があまりに不審だというのだ。

ところが、ここで警察の体制の脆弱さが浮き彫りとなる。石川県警の捜査員が金沢の本部から駆けつけたときには、すでに通報から3時間も経っていたのだ。

捜査員たちが到着したとき、旅館にいたのは在日朝鮮人の男ひとりだけだった。2人で出かけた後、この男だけが戻ってきたという。

捜査員が、

「あんた、外国人やろう?」

とたずねると、男は身構えた。

「外国人登録証を見せろ」

男が外国人登録証の提示を拒否したため、捜査員は外国人登録証を携帯していない疑いで逮捕した。男の供述は恐るべきものだった。

<工作員が、北朝鮮に帰国した(男の)妹の写真と音声テープを持ってきて、協力しろと脅された。45歳から50歳くらいの独身の日本人男性を共和国に送り込めと命令された。

それで、密貿易で儲けようと久米さんに持ちかけ、誘い出した。久米さんには「ゴムボートに乗って密輸船に金を届けて欲しい」と言った……>