零戦を支えた、高い教育水準

今回、稿を進めるうちに改めて実感したのが、当時の日本人の一般的な「生活水準」と「教育水準」のギャップについてである。

たとえば、北海道の寒村に生まれ育った中村佳雄さんは、昭和15(1940)年、17歳で志願して海軍に入るまで、自転車すら見たことがなく、横須賀海兵団に入団するとき、生まれて初めて汽車や船に乗ったという。

千葉県・房総半島の農村に生まれ育った角田和男さんも、予科練の受験のため初めて乗った汽車に酔い、実力が出せず不合格になり、翌年は自転車を漕いで受験に臨んでいる。

両名とも、海軍に入るまでは白い米の飯など食べたことがなく、海軍に入って、米の飯に副食物や味噌汁までつく食事のよさ(現代の目から見れば粗末なものだが)に感激したと語っている。海軍での訓練は厳しいものだったが、これも、地方の農村での日常生活と比べればさほど過酷だとは感じなかったという。

こんにち、軍隊といえば、ことさらに陰惨で厳しい日常を想像しがちだが、それはおそらく現在の社会生活を基準にしているからで、当時の目線で見ればまたちがった印象になるのだろう。現に、戦前の家族制度では、長男が家を継げば居所のなくなる農家の次男、三男にとって、軍隊というのはもっとも確実な就職先の一つでもあった。

このように、けっして豊かとは言えない生活水準とは裏腹に、どんな僻地にも学校や私塾があり、全国から志願してきた少年たちが一定水準の学力を身につけていたというのも、当時の日本社会の大きな特色だった。

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中村佳雄さんの例で言えば、高等小学校を出ただけの、自転車も見たことのなかった少年が、わずか二年後には第一線部隊の戦闘機搭乗員になっているのだ。

アメリカの青年の多くが自動車の運転ができたのに対し、乗り物に無縁で汽車にも酔うような日本の農村少年に、飛行機の操縦や整備、無線までさまざまな知識や技能を短期間で教え込めたというのは、やはり、全国レベルに行きわたった教育の素地があったからこそと考えるのが自然である。

しかも、中村さんは、「二等飛行兵」という、新兵(四等飛行兵)から二階級上がっただけの、最下級に近い階級でラバウルに派遣され、零戦を駆って戦っている。これは、敵である米軍パイロット(操縦員)が全員、士官(少尉以上)であったのとは対照的な制度である。

米軍パイロットが士官なのは、敵地上空まで飛んで戦い、捕虜になる可能性の高いパイロットには、捕虜への処遇を定めたジュネーブ条約との関連上、士官の階級を持たせたほうが有利に扱われる(労役を課せられないなど)利点があったからとも言われるが、日本海軍では、養成コースによっては下士官はおろか、最短で二等飛行兵の階級で実戦部隊に配属された。

中村さんは、「二等兵という下っ端の兵隊が、中尉や大尉の士官が操縦する敵機と戦い、撃墜していたというのは、世界戦史上、われわれぐらいのものではないか」と言う。

じっさい、数の上でも戦力の上でも、零戦の戦いを支えたのは、「下士官兵」と総称される下士官と兵の搭乗員だった。

 

ガダルカナル戦たけなわの昭和17(1942)年10月1日現在の、海軍戦闘機搭乗員の人数についての資料が残っているが、それによると、士官・予備士官98名、兵から叩き上げの特務士官、准士官50名、下士官385名、兵371名となっている。

士官は海軍兵学校、予備士官は高等商船学校や大学などで当時の高等教育を受けているが、全体の九割弱にあたる特務士官、准士官や下士官兵のほとんどは、中村さんのような高等小学校卒か、旧制中学を中退した少年で、家庭の事情で進学を諦めた者も多かった。

そんな若者たちが主力となって大空に活躍できたのは、日本の教育水準が高かったことの証だろう。だが、彼らの命を、戦争は湯水のごとく消費し、容赦なく奪った。

戦没した海軍の戦闘機搭乗員は4330名。その多くが二十歳前後の若者だった。ほとんどが独身者で、子孫はいない。空の上での戦没者は遺骨が還ることも稀である。終戦時の生存者は、かつて零戦搭乗員が組織していた「零戦搭乗員会」(現・NPO法人零戦の会)の調査によれば3906名。大半は実戦経験のない特攻要員だった。

モノ申せる日本人

私が取材を始めた22年前には千百名が存命だった元零戦搭乗員も、現在、健在が確認できるのは、89歳から百歳の百数十名のみ。真珠湾攻撃に参加した零戦搭乗員は一人残らず鬼籍に入り、トランプ大統領の“Remember PearlHarbor.”に、当事者の立場でモノ申すことのできる日本人は、もうこの世にいない。

歴史の評価は時代がくだす。だが、未来を見据え、「戦争を忘れない」、「戦争の記憶を語り継ぐ」ということを考えると、まず「正しく知ること」を避けて通るわけにはいかない。

戦後七十二年のこんにち、北朝鮮のミサイル、核保有の問題が国際社会を不安に陥れている。いまや「戦後」ではなく「戦前」である、という言説もしばしば耳にするようになった。

現在ほど、かつての戦争に学ばねばならない時代はないように思う。零戦を駆って戦った男たちの等身大の姿を、いまを生きる日本人、特に孫、曾孫の世代に知ってもらいたい。そして、彼らの生の声が、戦争の実相を知り、いま守るべき平和を考えるよすがになれば、と願うばかりだ。

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