「八百万の神」を潰そうとした明治政府に立ち向かった男

神社が神社を弾圧した歴史があった
真鍋 厚 プロフィール

地域社会の中心が「消された」

このように「神社合祀」によって、地方の魅力を育んでいる精神文化や、自立した民衆世界を形成していた〝聖域〟が徐々に切り崩されていった。

〈よりひろい視野からすれば、民俗信仰の抑圧は、明治維新をはさむ日本社会の体制的な転換にさいして、百姓一揆、若者組、ヨバイ、さまざまの民俗行事、乞食などが禁圧され、人々の生活態度や地域の生活秩序が再編成され、再掌握されてゆく過程の一環、そのもっとも重要な部分の一つであった。この過程を全体としてみれば、民衆の生活と意識の内部に国家がふかくたちいって、近代日本の国家的課題にあわせて、有用で価値的なものと無用・有害で無価値なものとのあいだに、ふかい分割線をひくことであった、といえよう。分割線の向う側にあるのは、旧慣・陋習・迷信・愚昧などであり、それらの全体が否定性をおびさせられていた〉(*5)

つまり、先に引用した「地方創生」の長期ビジョンにあるような「自らの地域資源を活用した、多様な地域社会の形成」とは真逆の方針を取り、明治政府は中央集権体制の下で画一的なルールに従うよう地方の〝飼い馴らし〟へ傾倒したのだった。

 

現代人にとって当時の「鎮守の森」が持っていた重要性は認識しにくいだろう。

明治維新後も「鎮守の森」は、依然として「地域社会」の中心地であった。南方のいう「社交の場」「憩いの場」とは文字通りの機能を言い表わしている。「神社合祀」によって数万社が整理されたということは、単純にそれだけの数の「社交の場」「憩いの場」が消失したことを意味する。

そこには、長い歴史を持つ社殿にとどまらず、原生林をはじめとする生態系の破壊も含まれている。樹齢千年を超える神木も伐採され、売り払われたという。

宗教史学者の小澤浩は、これを「民間信仰や人びとの神社によせる信仰に決定的な打撃をあたえ、政府や神職らの思惑にかかわらず、神社と人びととの関係を取り返しのつかないまでに変質させていく契機となった」(*6)と述べたが、「地域社会」の豊かさの源泉になっている地域住民のコミュニケーション環境にも甚大な影響を及ぼしたことは間違いないだろう。

これらの「変質」による後遺症の結果を一概に論じることはできないが、「神社合祀」に象徴される地方の「自立性」を否定する強固な中央集権体制の確立は、現在も続く国からの財政的援助や指導を頼みにする地方の依存体質を作り出し、「地方の衰退」というブーメランを準備したと言っても過言ではないのである。

要するに、「地域社会」の空洞化をバラマキで糊塗するがごとき昨今の「地方創生」は、南方が警鐘を鳴らした「悪結果」の尻ぬぐいであるかもしれないのだ。

〈参考文献〉

(*1、*3、*5)安丸良夫『神々の明治維新 神仏分離と廃仏毀釈』岩波新書

(*2)村上重良『国家神道』岩波新書

(*4)南方熊楠『神社合祀に関する意見』ゴマブックス

(*6)小澤浩『民衆宗教と国家神道』山川出版社

 

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