「八百万の神」を潰そうとした明治政府に立ち向かった男

神社が神社を弾圧した歴史があった
真鍋 厚 プロフィール

なぜなら、「現実に廃滅の対象となったのは、国家によって権威づけられない神仏すべて」(*3原文は神仏に傍点)だったからだ。つまり、今日では「日本人の精神性」とニアリーイコールで結ばれる「八百万の神」が「廃滅の対象」となったのである。

 

立ち上がった、ひとりの学者

このため、明治政府の政策に反発する人々が後を絶たず、一部の民衆だけではなく知識人などからも反対運動が澎湃と湧き起ることになった。

反対運動の急先鋒に立ったのは、民俗学者・博物学者の南方熊楠であった。

「神社合祀令」に真っ向から反論した『神社合祀に関する意見』の中で、南方はまず「一村一社」方式への転換について、

「さて一町村に一社と指定さるる神社とては、なるべく郡役所、町村役場に接近せる社、もしくは伐るべき樹木少なき神社を選定せるものにて、由緒も地勢も民情も信仰も一切問わず、玉石混淆、人心恐々たり」

と、地域の実情をまったく考慮しない乱暴なやり方に懸念を表明した。さらに、和歌山県で三千七百社ほどあった神社が六百社、つまり従来の6分の1に激減したことなどを取り上げ、

「かかる無法の合祀励行によって、果たして当局が言明するごとき好結果を日本国体に及ぼし得たるかと問うに、熊楠らは実際全くこれに反せる悪結果のみを睹るなり」

と断じている(*4)。

南方は「悪結果」の理由について、神社が社交の場、儀礼の場であるにもかかわらず、廃止や合併によって身近なところに神社がなくなり、むしろ敬神の念を減殺すると主張。

和歌山県日高郡の漁村にある「近傍の漁夫が命より貴ぶ」蛭子(えびす)社を合併したことで漁師たちが激怒し、夏祭日に大乱闘が起こり、警察による逮捕者までが出たこと、また、合併によって氏子が費用を負担して数百年も経過してきた「神社を潰して自分の俸給を上げんことのみ」努める神職などが続々と現れる状況にも大いに憤慨している。

後半のくだりでは、「悪結果」を8つに分類し、「神社合祀は国民の慰安を奪い、人情を薄うし、風俗を害することおびただし」「神社合祀は愛国心を損ずることおびただし」「神社合祀は土地の治安と利益に大害あり」などと再三強調した。

事実、村によっては由緒ある神社が姿を消し、祭りが中止となり、それゆえ若者が帰省せず、憩いの場がなくなったことなどを例示している。