シベリア抑留の重苦を描いた「幻の画集」をついに発見

画家・四國五郎が遺したもの
栗原 俊雄 プロフィール

「なぜ、自分たちを不法に拉致しているソ連を、こんなに礼賛するんだろう。どうしてその記念日をこんなに祝うんだろう」。そういう疑問を持つ読者がいるだろう。

全員が、ソ連に傾倒していたとは考えにくい。早く帰国したい者たちにとって、ソ連が憎くとも、にらまれるのは得策ではない。面従腹背をしたものもたくさんいた。筆者がインタビューした1人は、当時の心中を「赤大根といっしょ」と表現した。

赤=共産主義に染まっているのは表面だけ。中身は反共、ということだ。いっけん歓喜して「革命音頭」を踊る者の中にも、こうした人がいたと考えるのが自然だろう。

命がけの勇気が遺したもの

四國は、民主運動にかかわった理由として「悪名高い旧日本帝国陸軍の、絶対的な服従を暴力で強いる上下関係を捕虜になっても続けたなら、若い下級兵士は絶対に生きては日本に帰れないと思った」と述べている(91年ごろの回顧)。

理不尽な旧軍秩序を解体したという点で民主運動には意義があったと、筆者は思う。しかしながら、この運動には強い批判があるということも事実だ。親ソ派や親ソ派を装う者と、そうでない者の間では深刻な亀裂が生じ、助け合うはずの同胞が激しく対立することがあった。

 

また、旧軍秩序の裏返しで、かつての軍高官が軍高官であったというだけで指弾されたり、ソ連にとって好ましくない職業に就いていた者、例えば警官や外交官や通訳などをしていた者がその仕事をしていたという理由だけで、罵声を浴びせられたり肉体的苦痛を強いられたりする「吊し上げ」もあった。吊し上げることが自己目的化したようなもので、こうした被害の証言は膨大に存在している。

『記録』は「吊し上げ」を記してはいる。しかしそれは、旧軍秩序によって元部下を犠牲にしていた者たちへのそれであって、自己目的としての「吊し上げ」ではない。

四國が後者の「吊し上げ」を書かなかったのは、見て見ぬふりをしたということではなく、目撃してなかったからではないか。晩年に至るまで民主運動を評価していたことからしても、筆者はそう思う。

四國は抑留中に書いていた小さなメモを持ち帰り、それが『記録』につながった。ソ連は国際法違反の抑留の実態を隠すために、日本人が絵や日記などを持ち出すことを固く禁じた。発覚すれば帰国が取りやめになることもあった。

中には収容所内での娯楽を描いたページも

四國の命がけの勇気によって、この一級資料は残った。中でも白眉は、上記の民主運動を詳しくかつ肯定的に描いたことだ。この運動を巡っては、評価が分かれるためか口をつぐむ人が多かった。そうしたなかで、運動の真っただ中にいた者によるこの『記録』は、極めて価値が高い。冒頭に書いたとおり、それ以外も昭和の庶民史として読み手の心をつかむだろう。

筆者が初めて『記録』を見たのは、2016年9月だった。知人から紹介された四國の長男・光さんが見せて下さった。

『記録』をどう活用すべきなのか、ということで感想を求められ、「これだけ重要な資料は、できるだけ多くの人に見てもらうべきだと思います。それによって、様々な研究が深化するのでは」という趣旨のことを申し上げた。

その後、光さんの奔走によって、様々なメディアで『記録』の存在が伝えられた。そして『記録』はそのすべてが12月中旬、京都の出版社「三人社」によって刊行された(『わが青春の記録』)。ぜひ手にとってみてほしい。