シベリア抑留の重苦を描いた「幻の画集」をついに発見

画家・四國五郎が遺したもの
栗原 俊雄 プロフィール

部下の食べ物も奪う上官たち

四國たちにとってさらに不幸だったのは、敗戦後も大日本帝国陸軍の秩序が残っていたことだ。ソ連は捕虜を管理するため、日本軍の秩序をそのまま利用した。つまり部下は上官の命令には従わなければならない。

まともな上官ならばまだいい。だが、中には「特権」を利用して自分は働かず部下をこき使い、食べ物も優先的に確保し部下を犠牲にする者がいた。旧軍同様、リンチのような体罰もあった。

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たとえば年が明けて1946年1月のことである。四國は20キロほど離れた「カンバヤシ大隊」に移動した。

〈兵隊はやせほそっていると云うに将校食をくらってデップリと太ったカンバヤシ大尉は我々を寒いひろ場に集合せしめ一つ軍人は忠節をつくすを本文とすべしと五カ条を奉唱させ一場の訓示をすえて宮城を遥拝させる。(中略)寒さからすこしでも自分の身体まもろうとばたばたと足ぶみしながら、でっぷり太った将校たちをねめつけ或いは炊事勤務者などをはじめとする特権を利用してめしをたらふく食っている者を怒りをもってながめる〉

 

同じような経験は各地で報告されている。つまり将校の中には、ただでさえ飢えと寒さで弱っている兵士を寒空に立たせ「軍人勅諭」を唱えさせたり、宮城つまり「皇居」の方向にむかい拝礼させたりする者がいた。

軍隊は解体された。だがその秩序は残った。元上官たちはその秩序があればこそ、楽をしていられる。秩序の象徴である「軍人勅諭」「皇居」は、それじたい旧軍秩序の亡霊のようなものだが、そうした元上官たちとしては何としても手放したくない魔法の杖であった。

極寒の中で行われた~~

元上官の中には、自分たちは兵士たちの食料をピンハネし、さらに労働にも出ない者もいた。四國のような元下級兵士、一等兵や二等兵といった軍隊秩序の底辺近くにいた者たちの負担は大きかった。敗戦によって新兵の補充はない。

このため旧軍秩序が続く限り、下級兵は永遠に下級兵だった。抑留中の死者六万人の半分以上を、こうした下級兵が占めていたのはゆえなしとしない。

ただでさえつらい捕虜生活で、こうした旧軍秩序の理不尽さにさらされた元下級兵たちは、不満をつのらせていった。命にかかわることだけに、不満が爆発するのは時間の問題だっただろう。