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シベリア抑留の重苦を描いた「幻の画集」をついに発見

画家・四國五郎が遺したもの

1000ページの重み

とりあえず、ざっと見ようと思ってページをめくりだした。なにせ1000ページに及ぶ分厚い画文集だ。しかし読み進めるにつれ、ページをめくる手は遅くなる一方だった。

「なんでこんなものを画けたのだろう……。特にシベリア抑留のくだり。これほどまとまったものはみたことがない。一級の資料だ」

筆者はそう思った。画家で詩人、四國五郎(1924~2014年)が遺した画文集わが青春の記録(以下『記録』)である。

四國は広島県の山間部、椹梨(くわなし)村(現三原市)の農家に生まれた。5人兄弟の三男。豊かな自然の中で、経済的には貧しかったが、親に愛情をたっぷりと注がれて育った。しかし昭和恐慌のあおりもあって、農村での暮らしが立ちゆかなくなった。このため兄が働く広島市に移住した。

高い学習能力と向学心を持ちながら、経済的な事情で望んでいた進学ができなかった。第二次世界大戦末期、陸軍に徴兵され中国へ。敗戦後はシベリアに2年余り抑留された。出征中、最愛の弟が原爆で死んだ。

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こうした経歴から分かることは、四國の人生が「大日本帝国」の昭和史をそのまま反映していることだ。そして四國は、自分史であり昭和史であるその経験を、時に柔らかく情感豊かに、時に力強く刻み込むような筆致で描き残した。

前者はたとえば、子どものころの生活だ。家族とのふれあいや友だちとの交流が、四季の移り変わりとともに鮮やかに描かれる。後者は満州でのソ連軍との戦闘であり、日々死と直面していた抑留生活だ。A4版よりやや小さい紙で厚さ8センチ近く。その1000ページ全体が昭和庶民史を描く貴重な記録である。

 

中でも、筆者が特に強く関心を持ったのはシベリア抑留にかかわるところだった。

筆者はシベリア抑留の取材を10年以上続けている。大日本帝国の敗戦後、ソ連は満州などにいた日本人およそ60万人を拘束し、自国やモンゴルの収容所で抑留。1956年12月まで最長11年に及んだ。肉体のみならず精神をも破壊する飢え、零下50度に及ぶ極寒、そして人間を重機代わりに使う重労働で6万人が死んだ。

『記録』はこの三重苦を詳細に、かつ民主運動(理不尽な軍隊秩序の解体と、捕虜集団の民主的な運営を目指した運動。行き過ぎから日本人同士の深刻な亀裂を産んだ面もあった)の内幕を克明に描いている。

高橋大造(326人のシベリア抑留者による「捕虜体験記」全8巻の編集にかかわる)が、「民主運動を語らずしてソ連抑留の実態は語りえないといってよい」と述べている(『捕虜体験記Ⅷ 民主運動篇』)ように、この運動は抑留史を振り返る上で極めて重要なものだ。

冬の過酷な森林伐採作業を描いたページ

しかしその民主運動の中心にあった者の証言は少ない。またそれを可視化する写真はほとんどなく、画も同様である。四國はその運動内部にあって中心的な役割を果たした。さらにそれを、文章と絵で克明に描いたのだ。

ソ連は抑留生活の実態を記録することを、文章や絵などで記録することを厳しく禁じた。帰国の際、かくして持ち帰ろうとすることが露見すると、帰国を取り消されることもあった。それゆえ、膨大な絵はそれ自体が貴重な資料である。

筆者はかって、『シベリア抑留 未完の悲劇』(2009年、岩波新書)を書いた。『記録』のページを繰りながら、「あのころ、これを参照できていたらもっといい本になったのに」とも思った。

『記録』の詳細を見る前に、四國の略歴を振り返ってみよう。