学校から急いで帰り、チャンネルを合わせて「ぎ~んざナウ!」。素人コメディから性教育まで、扱うのは若者が興味のあることすべて。伝説的番組がいま甦る。
青柳 '67年にTBSが三越の協力を得て銀座分室として「銀座テレサ」を開設。その銀座の一等地にできたサテライトスタジオで「新しい形の番組作りをしよう」と'72年にスタートしたのが、『ぎんざNOW!』でした。
せんだ 僕はそれまでラジオの仕事が中心で、テレビは『ぎんざNOW!』が初めて。
放送作家の奥山侊伸さんが「テレビに出たことがなくて、やたらとしゃべってうるさい奴をTBSが探している」ということを聞き、初代司会者に僕を推薦してくれたんです。
大場 私がアシスタントとして出演していたのはちょうど歌手デビューした'77年頃です。まだ『コメットさん』をやる前で、まったく名前も売れていなかった。
『ぎんざNOW!』のおかげで初めて親衛隊ができ、生放送で「クミコ」コールをやってもらいました。
青柳 放送開始当時、平日の夕方5時台は視聴率の取れない「クズ枠」と呼ばれ、各局子供向けのアニメを放送していました。そこに中高生にターゲットを絞った30分生放送の情報番組を作ったわけです。
コンセプトは番組を若者の解放区にすること。私はプロデューサーとして、若者がなんでも自由にできる番組を作りたかった。だから、作る人も、出る人もすべて若者でやろうと考えました。ディレクターも平均25歳と非常に若かったんです。
せんだ 番組がスタートしたときは、僕も25歳。やっぱりそんな若造に生放送を任せるのは、相当怖かったんだと思う。事前にスタッフから放送禁止用語について懇々とレクチャーされましたし。
大場 私はしゃべりがすごくゆっくりだったので、「生放送なんだからもっと早く話す練習をしなさい」と言われました(笑)。
青柳 TBSではそれまで生放送はすべて自主制作していましたが、この番組は制作会社が入っています。
当初は、「社員以外の人間が生放送の番組を作るなんてありえない」と会社側は否定的でしたが、「若者を中心にした新しい番組を作りたい」となんとか説得しました。
おかげで、若手スタッフがアイデアを出しあって、面白い企画がポンポン出てきました。あの秋元康さんも、奥山さんの弟子として番組に関わっていたことがあります。
せんだ 出演者と企画は曜日ごとに違って、それぞれ特色があった。月曜日の看板コーナーだった「素人コメディアン道場」は、青柳さんのアイデアでしたよね。
青柳 そうです。素人がモノマネやコントなどを披露して競い合うコーナーで、新人発掘が狙いでした。
せんだ その狙いがズバリと当たりましたね。「素人コメディアン道場」の初代チャンピオンは関根勤さん。
小堺一機さん、竹中直人さんら、いまも第一線で活躍されている方々もこのコーナー出身で、清水アキラさん、桜金造さん、あご勇さんら歴代のチャンピオン6人を集めた「ザ・ハンダース」も結成されました。
青柳 チャンピオンにはなりませんでしたが、当時、高校生だったとんねるずも出ていたらしい。