「環島」自転車で台湾を一周して見えた、私のアイデンティティ

8泊9日、1000キロの旅
一青 妙 プロフィール

「環島が夢だった」「友達に誘われて」「仕事として仕方なく」「なんとなく」。答えはさまざまだったが、環島を始めて日が経つにつれ、環島に対する思いは変化していき、ゴール直前には、一つに集約されたように感じた。

それは「いま私たちは本当の台湾と出会っている」という気持ちである。

台湾の各地の風景や人に出会い、美味しい地元グルメでお腹を満たし、目をみはる歴史的な建造物の存在を知ることで、自分が生まれ育った台湾という土地について、それまで曖昧であった認識が、環島を通して明確となり、「台湾人」の意識が強まる。

写真:著者提供

日本時代の台湾は、日本の一部として統治され、多くの台湾人は「日本人」としての教育を受けた。戦後になり、中国からやってきた国民党による一党独裁のもと、「反攻大陸」をスローガンに、いつか中国大陸に戻るという信念のもと、「中国人」としての教育が徹底された。

思い返せば、私が台湾の現地校に通っていたときに覚えさせられたのは、李白や杜甫の漢詩であり、中国大陸で最も長い川や山、中国5000年の歴史だった。歴史、地理、人物などで扱われる内容の大部分が中国中心で、台湾人であるのに台湾を知らないまま学んでいたのだった。

 

台湾の民主化が進み、1997年、中学校で初めて「認識台湾」という教科書が採用された。「認識台湾」は、日本時代を含めた台湾そのものの歴史や、台湾の風土について書かれた歴史、社会、地理の3冊の組み合わせで、ようやく台湾人が台湾について学ぶことができるようになったのだ。

民主化と教育の変化で「中国人ではなく、台湾人である」、そんな風に自分たちのアイデンティティを考え、主張する人も増えてきた。

2000年以後に「環島」という言葉が広がったのは、こうした台湾社会の大きな変化がもたらした結果のように思える。

「環島」という台湾旅の初スタイル

近年は特に、自転車による「環島」が台湾社会で注目を浴びている。環島と自転車が本格的に結びつくきっかけとなったのは、2007年に上映された『練習曲』という台湾映画だった。

ろうあ者の主人公の青年が、ギターを背負い、自転車に乗りながら台湾を一周するドキュメンタリータッチの映画は、封切り後、口コミであっという間に広がり、大ヒット作となった。

主人公・阿明が、台湾各地でみた風景や文化、触れ合った人たちから学んだ台湾の歴史や台湾社会が抱えている問題など、台湾人にとっては、知っているようで知らなかったことが随所に散りばめられていた。台湾への認識不足を改めて目の前に突きつけられ、考えさせられたからこそ、多くの人が触発され、自分も自転車で「環島」をしてみよう、と考えるようになったのだろう。

また、阿明の「有些事現在不做,一輩子都不會做了(今やらなければ、一生できないことがある)」という言葉は、環島の代名詞にもなった。

そんな言葉に心打たれた一人に、台湾の自転車メーカー・ジャイアントの創業者である劉金標さんがいた。映画をみて感動した劉金標さんは、当時73歳という高齢でありながら15日間かけて映画の主人公のように自転車で台湾を環島した。その様子は大々的にテレビや新聞で報道され、環島は一気に注目された。

以降、自転車に乗っての環島という行為は、家族旅行や大学生の卒業旅行、中学生の学校行事、新入社員の研修などに取り入れら、さらには、高齢者や身障者、小学生たちにも広がり、成人を迎える若者の「儀式」になるほど台湾人社会で浸透した。

日本人の目にはただの台湾一周旅行のように映るかもしれないが、自転車での環島の背後には、そんな台湾の歴史と台湾人の思いが込められていたのだ。