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聴覚障害を抱えた母親が育児困難になるまで

育てられない母親たち⑩

ノンフィクション作家の石井光太さんが、「ワケあり」の母親たちを密着取材していく本連載。彼女たちが「我が子を育てられない」事情とは?

* 石井光太さん記事バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/kotaishi

これまで見てきた育児困難の母親の中には、少なからず精神疾患を抱えた人たちがいた。

統合失調症やうつ病をはじめとした精神疾患をわずらった場合、幼い子供と向き合ってきちんと育てることが難しくなるのは自明だ。

ただ、母親が育児困難に陥るきっかけは心の問題だけではない。身体や感覚の障害が要因になるケースも少なからずある。

障害と育児困難。

それはどのようにつながっているのだろうか。

ママ友とコミュニケーションが取れない

矢永佳純(仮名)は、生まれついての難聴だった。補聴器をつけてもほとんど聴覚はなく、手話か、相手の口の動きを見て言っていることを理解するしかなかった。しゃべることに関しても、耳が聞こえないので上手に発音するのが苦手だった。

佳純は普通学級ではなく、特別支援学校に通った。卒業後は、言葉によるコミュニケーションが少ないホテルの清掃の仕事に就き、24歳の時に結婚。相手は、特別支援学校時代の友人から紹介された16歳年上の男性。同じく難聴で、船の乗組員の仕事をしていた。

 

結婚後、佳純はすぐに男の子を授かった。だが、夫は一度船に乗ると長期間帰ってこないため、子育てはほぼ一人でしなければならなかった。

最初の1年は無我夢中だった。息子の夜泣きが聞こえないので、1時間おきに目を覚ましては様子をたしかめた。日中も絶えず目の届くところにおいて、体調を崩して病院へつれて行く時は筆談で医者とコミュニケ―ションを取って子供の状態を少しでも詳しく理解しようとした。

だが、息子が1歳になって歩きはじめた頃から、だんだんと子育ての壁にぶつかるようになった。公園や児童館につれていっても、そこでママ友たちとコミュニケーションをとることができず、疎外感を味わうことが多くなったのだ。

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息子が女の子を押し倒して泣かせてしまっても、見ていなければ泣き声が聞こえないので何が起きたかもよくわからない。謝らないでいると、ママ友からは「しつけがなっていない」「子供が他人を泣かせたのに知らないふりをしている」と見なされる。また、児童館の集まりに参加しても、職員の話が聞き取れないのでみんなのペースで遊戯に参加することができない。そうこうしているうちに、息子の言語の発達はじょじょに遅れていった。

佳純は対人関係がうまくいかなくなり、息子とともに家に引きこもるようになっていった。佳純のことを知る福祉関係者は語る。

「佳純さんは難聴で他のお母さん方と関係がうまくいかなかったことで、ちょっとした対人恐怖症みたいになってしまったようです。もともと特別支援学校に通っていたことから健常者との付き合いが少なかった上、周りのお母さん方も理解がない人が多かった。

ママ友というのは群れをつくることで情報交換や助け合いをしますが、そこからはじき出されると待っているのは孤立です。子供が小さいと、母親に孤立に巻き込まれてしまうんです」

佳純は家に閉じこもり、毎日パソコンに向き合っていた。外出といえば、数日に一度近くのスーパーに買い物に行くくらいだった。