『陸王』の専務役で存在感 俳優・志賀廣太郎「脇役の流儀」

真面目な小市民を演じたら日本一 
週刊現代 プロフィール

単身、ドイツで演技修業

志賀は2年ほど大学に残った後、私費でドイツへ留学する。当時は翻訳劇の舞台が多く、役者は外国人を演じることになる。志賀は、ヨーロッパ原作の劇が現地でどう演じられているのか、興味を持ったのだという。

「現地では最初、語学学校に通った後、シュトゥットガルトの専門学校で学びました。実はそこは体操の学校でした。なぜ体操かというと、芝居の身体表現、つまり演技の基礎がそこにあるのではないかと考えたんです。

意外かもしれませんが、私は体操が好きなんです。体が硬いので連続ではできませんが、バク転もできましたよ。その学校には1年弱ほどいましたね。その後、あちこち回って、ウィーンでは日本人学校で小中学生に国語を教えていました」

30歳を目前にして、交際していた女性と結婚するために帰国する。その後、母校で非常勤講師を務めることになる。

だが、学生に演技を教える日々のなかで、40歳を目前に行きづまる。吸収することがなくなり、自らも演じることが必要だと感じ始めていた。

そんなとき、劇作家・演出家である平田オリザ氏(54歳)が主宰する「青年団」の舞台を見にいき、共感した。志賀が語る。

「最初は授業の教材として作品を使わせてもらいたいとオリザに会いにいったんです。知人の紹介で青年団の打ち上げに参加して、オリザにお願いするとすぐにOKが出た。

ですが、酒を飲んでいるうちに、自分で演じたこともない台本を使って学生に教えられるのかと不安になり、自分も舞台に出ようと思いました。そこで、酔った勢いもあり、オリザに『次の公演に出たい』と言うと、あっさりOK。

ほかの劇団員との年齢差があるので大丈夫かなと悩みましたが、オリザは気にする様子はありませんでしたね」

 

'90年、志賀は青年団の舞台に出演。すでに41歳になっていた。その後、正式に劇団員となる。青年団の同期である女優・山村崇子が語る。

「志賀さんは舞台設営の作業から、皆の食事作りまでなんでもやってくれる面倒見のいい人でした。飲み会では演劇論で熱くなることはありませんが、若い人の輪に積極的に参加していました。

稽古でたまに居眠りをすることもありますが、そういう姿も自然体で、場の雰囲気は良くなりましたね」

平田オリザ氏は当時の志賀をこう評する。

「あのころ、メンバーは20代ばかり。当然、すごいおじさんが入ってきたと思いました。劇団内では『志賀さん』、あるいは『志賀じい』と呼ばれています(笑)。

最初からいまの雰囲気でしたからね。他の劇団員と年齢差があるなかで、決意を持って入団してきたんだと思います。やはり本人は舞台が好きなんでしょうね。出演していなくても、いまでも受付の手伝いに来たりしますよ。

志賀さんの役者としての魅力は、いろいろな役ができることでしょうか。うちの劇団は緻密に舞台をつくりあげるスタイルです。志賀さんも演出家の期待に対して、的確かつ瞬時に応えられるということです。そして、基礎がしっかりしているから重宝されているのだと思います」

志賀は青年団に入団後も、変わらず大学の講師を続けた。当時の教え子である映画監督の佐藤徹也氏が思い出を語る。

「志賀さんはドイツ語も教えていたのですが、いまでも最初の授業のことは強烈に覚えています。『イッヒ・リーベ・ディッヒ』(あなたを愛している)。あのビジュアルでそれから始まったんですよ。

僕は劣等生で、単位をもらうために志賀さんに直談判をしたことがありました。すると、『授業に出なかった理由をレポート100枚で表現しろ』とチャンスを与えてくれました。

そこで僕は授業をサボって観た映画のリストと感想を書いて、アポなしで自宅を訪問したんです。志賀さんは『ホント迷惑だよ』ってこぼしながら、単位をくれました。

格好いいですよね。飄々として、面白いことは特に言わない。でも、それも志賀さんの色だと思います。生徒にとって良い先生でしたよ」