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「全ての能力が遺伝で決まる」残酷な世界で、凡人はどう生きるか

才能についての、いち考察
安藤 寿康 プロフィール

才能の遺伝はどう説明できるか

イギリスの双生児研究では、意欲や勤勉さや自尊心、家庭環境や学校環境をどう受け止めるかにも遺伝的個人差があり、知能の遺伝要因とは別に、多かれ少なかれ学業成績の遺伝要因を説明することが示されている。

才能の遺伝にはさまざまな要因が関わっているのであって、単一の資質や、ましてや単一の遺伝子で説明できるものではない。

とはいえ知能や学業成績は、それでもひとつにまとまった大きな資質の表れであるともいえる。というのは、教科ごと、領域ごとに異なる遺伝要因がばらばらにあるのではなく、おしなべて一般的な認知能力としての資質があるようだからだ。

つまり国語が得意な人は概して数学も理科も社会も得意であり、言語による推論が得意な人は空間把握や記憶も得意という傾向がある。しかもそれは遺伝子レベルで互いに強い結びつきがあるのである。

たとえば数学に関係する遺伝子は、同時に国語(言語能力)にも関係することが、やはりイギリスの研究で明らかにされている。能力の遺伝子たちは、概してジェネラリスト・ジーン(万能遺伝子)として効いてくるものなのだ。

元も子もない話だが、知的能力は基本的に教科や領域を超えた一般性をもち、そのレベルでざっくりと遺伝的な優劣がある。

その上で、さらに個々の教科や領域に固有の遺伝要因がさらに加味される。学校は、こうした一般的な能力のレベルの個人差を、それを全員に学習させる機会を与えることで顕在化させている。

 

「才能」とはなんだろう

あらゆる才能や能力には遺伝的優劣がある。この冷酷な事実に対して、わたしたちはどう考え、どうすればよいのか。

まず自分がどの分野にどんな才能を持っているのかは、遺伝子検査でわかるものではなく、実際にやってみること、それもある程度徹底的にやってみることで、初めて分かるということ。

「美人」という才能について考えてみよう。

この要素を持っていたら必ず美人となる要素があるだろうか。

色が白い? 二重まぶた? 鼻が高い? 目がパッチリしている? 色黒の美人も、一重の美人も、だんご鼻が魅力的な美人も、アンニュイな目つきが色っぽい美人もいる。どれひとつとっても、美人であることの必要条件でも十分条件でもない。

要はさまざまな要素の独特な組み合わせが生み出す妙である。才能の遺伝子というのもそういうものだと思われる。たくさんの遺伝子たちの織り合わさった模様が、ある特定の文化の中で「才能」として認知される可能性をもつ。

しかしそれはあぶり出しに描かれた抽象画のようなもので、経験という火にかざされないと浮かび上がって見えてこない。

そして見えてきたものも形が抽象的で漠然としていて、はっきり分かることはごくまれであり(早熟の天才と呼ばれるごく少数はそれがはっきりしているので、子どものころから才能を発揮しているが)、たいがいは実際に何かを経験するなかで徐々に気づき、徐々に形にしてゆくものである。

それでも学校の教科になっていたり、ある程度文化的に確立された領域での一般的能力については、比較的分かりやすい。

勉強もスポーツも芸能も、そしておそらくどんな職業でも、それについて一般的な才能のある人は、たいてい一般人の中でははじめから頭角を現す。

問題は凡庸な場合、一般的な能力でも劣っている場合、そして一般的な能力では優れている人が、選ばれてさらにその上の専門家集団に入ったとき、そこでは凡庸な、あるいは劣ったレベルになってしまう場合である。