高齢化進む「ハンセン病」療養所。その中にある保育園をご存知ですか

宮崎駿監督も協力
崎山 敏也 プロフィール

花さき保育園では、園児たちに対して、特にハンセン病について教えていません。森田園長はこう言います。

「入所者の方たちと日々交流して感じたことが、心の中、頭の中にあって、ある程度の年齢になった時、その子たちがその時代に持っている力、その時の自分の立場で『周りに差別されている人はいないかな』『偏見を感じている人はいないかな』ということをどんなレベルでもいいから考えてほしい。私と同じ言葉でなくても、人はみな平等だよということを心の中で思って生きていってほしい。

『子供の頃に出会ったおじいちゃん、おばあちゃんはどういう気持ちだったんだろう』と、いずれ人生の中で振り返って、誰かに話をしたり、考えを紡いでいく人になってほしいですね」

 

宮崎駿監督も力を貸した

車椅子でも入れる花さき保育園の玄関を入ると、入所者の男性が陶芸で作ったトトロ人形たちが出迎えてくれます。実はこの人形は、宮崎駿監督の「公認」を得ています。

木彫りのトトロたち(筆者撮影)

というのも、全生園は宮崎駿監督の自宅からスタジオジブリへの通勤途中にあるのです。以前から全生園の森が気になっていたという宮崎監督は「もののけ姫」の構想を練っていたころ、初めて所内に足を踏み入れました。

全生園の森と様々な歴史的建造物は、宮崎監督に衝撃を与えるとともに、作品を練るための発想の源ともなりました。宮崎監督はその後、園内の歴史的建造物と森を後世に残すための入所者自治会による「人権の森」構想に協力、建造物復元のための寄付などもしています。

ハンセン病に関する講演を行う宮崎駿氏(中央)。奥に座るのは前出の佐川修氏(筆者撮影)

前出の森田園長は、「私たちもいろいろな人生を体験した入所者、退所者とこれまで交流する機会がありました。同じ立場になることはできないけれど、(ハンセン病のことを)知ったことによって、私も職員も、自分が変わり、自分が携わっていることで視野が広がりました」と話します。

何かを「学ぶこと」は、「自分が変わること」だということは、これまで取材を続けてきた私もしばしば感じています。

ただ、ハンセン病問題を伝えていくためには、言葉や感じ方だけではなく、大きな物理的課題が残されています。療養所は将来どうなるのか、ということです。

日本では現在、ハンセン病の新規患者の発生はごくわずかで、適切な治療を受ければ完治する病気となっています。療養所の入所者数は減少し、いずれいなくなることは確かです。

多磨全生園の所内には森だけでなく、様々な史跡が残されています。

例えば「望郷の丘」。故郷に戻れない絶望感の中、入所者は少しでも園の外の様子を知ろうと、脱走を防ぐ堀を作るために出た土を盛って、園の中に高さ約10メートルの小山を作りました。療養所は雑居部屋だったので、一人になってこの小山の上に登り、泣いた、叫んだ、物思いにふけった、という話は多くの入所者から聞きました。

現在の「望郷の丘」(筆者撮影)

旧男性独身寮「山吹舎」は、昭和初期に建てられたもので、多くの人の募金で復元されました。木造平屋建てで4部屋。一部屋は12畳半ほどですが、8人が暮らしていたそうです。

「山吹舎」(筆者撮影)

そのすぐ近くには、子供たちが暮らした旧少年少女舎がありますが、放置されたままで、改修、保存のめどはたっていません。