『72時間ホンネテレビ』リスクもハンデも乗り越えた末の大成功

「世界に一つだけの花」から「72」へ
松谷 創一郎 プロフィール

21年後の森且行のリアルな姿

72時間でもっとも大きな話題となったのは、間違いなくこの3日目だった。3人は、1996年にSMAPを脱退しオートレーサーとなった森且行に会うために、静岡・浜松オートレース場におもむいた。

昼過ぎから夕方まで6時間に渡ったこの企画は、同窓会的な側面もあったものの、20代前半でひとり進路を変更した森に焦点を絞ったものだった。

つまり、元SMAPメンバーというよりも、日本選手権にもエントリーもするS級ランクのオートレーサーとしての森且行だった。

レース場のVIPルームにいた前半部分では、3人はまずオートレースについて学んだ。ひとつのレースは何周か、森が出場する試合の価値はどれほどか、車券にはどのような種類があるのか等々。そして実際に車券を購入し、森のレースを観戦した。

3時間ほどのそのプロセスは、地味ながらも非常に興味深いものだった。3人はオートレースの知識を得ることによって、進路を分かったその後の森の存在をより強く認識していった。それは視聴者やファンにとっても同様だった。

3人が固唾を呑んで見守ったレース(日本選手権準決勝)では、残念ながら森は最下位となった。だが、その結果こそが逆に森の生きる道の厳しさを示した。

 

面白かったのはここからだ。レース後に3人は森と再会し、食堂から宿舎、レース場、そして整備場と見て回った。過去の思い出話も出たが、それよりも印象深かったのはオートレーサーの日常だ。

レース中は八百長などを防止するために、携帯電話が没収されていっさい外部と連絡を取れない隔離状態に置かれる。バイクは自分で150万円ほどのものを購入し、自分ひとりで整備する。宿舎は古びた畳敷きの部屋に二段ベッド――等々、SMAPを脱退してから21年後の森且行のリアルな姿が映し出された。

もちろんこの再会が感動的かつ画期的だったのは、ジャニーズ時代は森が長らく存在しなかったことになっていたからだ。生放送の番組でメンバーが言及したことは幾度かあったが、森在籍時のVTRは解散のときまで使うことは許されなかった。

それゆえ4人が揃い、さらに脱退についても振り返ることは驚くべきことだった。香取は、脱退を伝えられた直後に「正直、ふざんけんなと思った。これからっていうときだったし、それにいちばん近くにいたから」と回想したが、こうしたことすらも言うことは許されなかった。

そうした光景を観た多くの視聴者が受け取ったのは同窓会の感覚ではあるが、森且行の生き方に感銘を受けたひとも多いはずだ。

森が脱退したのは、SMAPが大ブレイクした直後だった。みずから掴んだ成功をあっさりと捨てたその姿勢には、潔さよりも疑問を感じたひとのほうが多かっただろう。

だが、その後オートレーサーとして成功を収め、いまも一線で活躍している。なにより、本人がその選択を悔いている様子がまったくない。

そこからは清々しさと同時に、ひとの人生が大きな可能性を秘めていることを感じさせた。

ちょっとした勇気は必要だけれど、努力し続ければこうした未来が待っている――21年後の森且行の姿は、これから3人が向かう先の未来を予感させるものだった。