伊能忠敬と同じ歩幅で日本を歩き回る「謎の科学者」の正体

クマに遭遇、密漁を疑われ…
中川隆夫, ブルーバックス編集部

ところで、調査場所は、個人的に好きな地域を選ぶことができるのでしょうか。

「やはり自分の研究分野に近い地質のところに行くことになります。私は白亜紀の火成活動でできた火山岩・深成岩が専門分野なので、『播州赤穂』地域へ行くことになったのです。

ここは、約8000万年前の白亜紀の岩石が多くあります。当時の大規模な火砕流噴火によってできたカルデラがあり、これを火砕流堆積物が埋めています。それが、長い年月をかけて雨風によって浸食された土地なのです」(佐藤さん)

[写真]地質情報研究部門地殻岩石研究グループの佐藤大介さん産業技術総合研究所・地質情報研究部門地殻岩石研究グループの佐藤大介さん

同じ足で稼ぐ調査とはいえ、伊能忠敬の時代と違うのは、その背景にある科学的な知見。今では、プレートテクトニクス理論をはじめ、日本列島の成り立ちに関しても大きく研究が進んでいます。研究者の頭の中には、立体的な地下モデルがあるのだそうです。

「土壌を取り除いた表層の地質は、実際に現場で石を確かめればわかりますが、その下の断面図まで描く必要があります。

表層の地質を点で集めていって、線でつなぎ、地球科学の知識を使ってそれを面にして、立体にする。地質図学の知識を総動員して、頭の中で3Dの地図を描きながら調査にあたります」(佐藤さん)

「初期の地質図は、地下資源が目的でしたから、そこに何が存在するのかという結論が重要でした。しかし今の研究者は、地球の成り立ちに着目した地質図を作ろうとしています。そこに石が存在している意味合いまで考えてレポートします。

一方で、みなさんのニーズは防災や環境などに視点が移ってきています。この多様なニーズにも応えたい。だから手は抜けないのです」(内藤さん)

 

伊能忠敬のことを、内藤さんは「雲の上の人」と表現します。地図もGPSもない時代に、ロープと歩測で距離を測り、夜は星空を見上げながら方位を観測する。物理的な計算も行っていたのだから、画期的な仕事だったというのです。

機械化が進んだ今は、伊能の技術は継承されていないのかと思いきや、意外なところで引き継いでいるものがあるといいます。

「歩測は、たまにやりますよ。短い距離で、計測器をもっていないような場面では歩測のほうが早いんです」と内藤さん。伊能は、一歩70cm。内藤さんも、同じく70cmで歩くクセがついた。佐藤さんは72cm。いまでも歩測の訓練ができているとは驚きです。

全国をカバーするには1274枚もの地図が必要

日本全土を見た場合、地質図はどこまで完成しているのでしょう。

「20万分の1の地質図が、全国を網羅したのが2010年。つい最近のことです。しかも、これは編纂図といって、我々がすべて歩いて調査したものだけではありません。

自治体や鉱山など、さまざまな地質調査を編纂して解釈したものです。5万分の1となると、全国を碁盤の目状にカバーするためには1274枚必要です。いま出版されているのはその6割。残る4割は、昔の7.5万分の1の地質図などで補足している状況です」(内藤さん)

優先的に調査が行われるのは、やはり希少な鉱物などが眠っているような場所や、断層調査や、地震の影響などを考慮して決まるようです。

80年前の調査が最新の地質図とされる場所もあれば、中には秋田県の「阿仁合(あにあい)」地域のように「黒鉱鉱床」の重要性から最近改訂された場所もあります(図6、図7)。

56年ぶりに改訂された「阿仁合」地域の地質図幅を見比べてみると、断層が細かく表示され、岩石の分布も大きく違います。断面図も昔は一色だったものが、より詳細に岩石分布が色分けされ、これほど違うのかと驚くほどです。

地球科学理論の進歩によって正しい立体的な地下モデルが構築され、それが地質図に反映されているというわけです。「測定技術の向上から、より正しい年代測定ができるようになりました」(佐藤さん)

[図6]56年ぶりに改訂された「阿仁合」地域の地質図幅。こちらは1955年版図6:56年ぶりに改訂された「阿仁合」地域の地質図幅。こちらは1955年版
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[図7]「阿仁合」地域の地質図幅。こちらは2012年版。様相がずいぶん異なることがわかる図7:「阿仁合」地域の地質図幅。こちらは2012年版。様相がずいぶん異なることがわかる
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ただ、1枚に5年もかかる詳細な地質図だけに、年に4~5枚しか出版できない。地道にこの地質図作りを続けながら、内藤さんたちがここ数年取り組んでいるのが「シームレス地質図」だといいます。

産業技術総合研究所では、5万分の1や20万分の1の地質図幅を紙で出版しながら、それらを基にウェブ上で境目のない全国地質図を無料で公開しています。グーグルマップのように、日本全国の拡大・縮小や移動が自由に行えます。紙版は有料ですが、ウェブ上では無料で利用可能です。

今年の5月、『地質図Navi』(https://gbank.gsj.jp/geonavi/)でも閲覧可能なシームレス地質図(https://gbank.gsj.jp/seamless/)が、バージョンアップして公開されました。

岩石の種類や年代を示す「凡例」が10倍ほどの精度になり、約3000種に区分けされています。全国どの土地でも、拡大していくとどんな岩石の上に成り立っているのか一目瞭然です。

「自分が住んでいる場所がどんな地質の上にあるのかわかるという実用性はもちろん、土地の成り立ちを想像して楽しんでもらいたいですね。

ウェブで公開している地質図を、学校の先生が生徒と一緒に地元の歴史を学ぶ手立てとして使ってくださったりすれば嬉しいです。周囲の地形がどのような地質の原因によってできたのか。近所の風景を、数百万年という長い時間のストーリーで読み解いてみてください」(内藤さん)

じつは、密かに地質がクローズアップされているテレビ番組があります。NHKの人気番組『ブラタモリ』です。

タレントのタモリさんが全国をブラブラ歩いて歴史や人々の暮らしに迫る番組と謳われてはいますが、タモリさんの視線の先にはつねに、断層やチャート(海底の堆積岩)といった地質・地形があります。

神社や城といった、人が作った歴史は数千年のスケール。タモリさんは、さらに長い数百万~数億年の単位で大地が作ってきた歴史を見て歩いているのです。いわば「地質エンターテインメント」として楽しめる番組というわけです。

内藤さんはタモリさんの、目の前の風景と地質とを関連づける感覚に脱帽しながら、数多くの地質伝道師の登場を願っています。

地質図作りは、先人の調査に支えられながら、ひとりの現地調査が80年、100年と残ることもある、責任の大きい仕事です。内藤さんや佐藤さんによれば、それはひとつの論文を書くよりも断然重い――。

その自覚で作られた地質図が自由に利用できる時代になりました。みなさんもぜひこれを活用して、身近な探検に出かけてみませんか?

[写真]産総研の内藤さんと佐藤さん
内藤一樹(ないとう・かずき):写真左
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
地質情報基盤センター アーカイブ室 室長
(地質情報研究部門 シームレス地質情報研究グループ付)
「地質情報基盤センターでは、品質と信頼性の高い地質情報の整備を進めるとともに、利活用を促すためのオープンデータ化を進めています。これらの世界標準の高品質な地質情報を分かりやすく効果的に発信することで、地質情報が社会で広く役立てられることを目指しています」

佐藤大介(さとう・だいすけ):写真右
国立研究開発法人 産業技術総合研究所
地質情報研究部門 地殻岩石研究グループ付
(地質調査総合センター研究戦略部 研究企画室 企画主幹)
「地質情報は、地球科学的研究により体系的に整理された国土および周辺海域の基本情報です。私たちの研究部門では、我が国の知的基盤整備計画に基づいて、社会の要請に応える陸域・海域の地質図、地球科学基本図のための地質調査を系統的に実施し、地質情報の整備や利用拡大に取り組んでいます」

取材協力:

[リンク]産総研