「絶対的権力者」安倍総理は、なぜ極めて危ういと断言できるのか

加計学園問題をもう一度考える
山下 祐介 プロフィール

官僚と政治の間で何が起きたのか

官僚が優秀だというのは、まずはこういうことです。

行政官僚はもちろん、意志決定する者ではありませんので、ある意味では政治のマシーンです。ですから政治的な決定がなされれば、それに従って動かなくてはなりません。

しかしまた、こういう面もあるわけです。

政治的決定と言ってもそれは決定するだけで、実際に動かすのは官僚です。現場は官僚で動きます。彼らなくしては、政治は政策として実現することはできません。

そしてその人々が優秀だというのは、政治を実現する機構としてまずは優秀だということです。あなたの演説も答弁も、彼らのおかげで形になっているのではありませんか。

そしてその際にもう一つ、彼らは公正でもあります。彼らは法を遵守します。

 

またそこには、過去からの積み重ねの中で各省ごとに獲得しているあるべき行政のあり方についての規範があり、個別にはそれを逸脱する人がいたとしても、全体としておかしな政策が動かないよう自制・自浄が働くようになっています。

これは政治の過程とは別に、行政過程としてサーモスタットのように機能しており、ですのでこの国は非常に複雑にできているのに、かなりの部分を政治が放っておいても、おかしなことは起きずに自動的に制御されるのです。

さらに私は次のことを強調したい。彼らは単なるマシーンではありません。集団であり、組織です。彼らには彼らの秩序があり、なすべきことへの責任や倫理がしっかりと構築されています。

そしてそれは、彼らがただ政治的決定を実現し、また法を遵守するということだけでなく、きちんと国民の側に立って、政策として何が必要で、何をしてはいけないかを判断する能力を、明治維新以来の長い省庁の歴史の中で行政文化としてもっているということなのです。

ですから官僚は、政治家の政策実現装置であるだけでなく、公正かつ(杓子定規ではなく、各法がもつ精神に従って)適正に法を守り、それによって国民の暮らしをしっかりと守る、そういう国家の安定装置でもあるわけです。彼らは法を守ります。

そして憲法に基づけば、主権は国民にありますから、何よりも国民を守ります。それゆえ、法を逸脱し、国民の権利を損ねるような政治的決定が行われれば、それを軌道修正する側に立ち、場合によっては政治に抵抗することもあるわけです。そういう適正化装置なのです。

その官僚から、「政策が歪められた」という発言がでたというのは相当なことです。これは大事件であるとあなたは正しく受け止めなくてはなりません。

今回の事件に対してはしかし、この正しく動いている装置を、問題の矛先が総理自身に向けられたことから、「むしろこの官僚機構にこそ問題があるのだ」と、だから「ぶっ壊してしまえ」と、そういう方向であなたのまわりの方々は処理してきました。

いやあなた自身もですね。悪いのは官僚の方なのだと。ゆがんだ行政を私が正すのだと。

しかしこの事件で出ていた情報は、私にはあなたに分がないように思えます。でも私はあなたを信じましょう。あなたは潔白だということを前提にした上で、でもやはり次のことは問題になるのです。