いまこそ、平成ニッポンのタブーを語ろう

森達也×武田砂鉄『FAKEな平成史』
武田 砂鉄, 森 達也 プロフィール

皮肉や批評はどこに消えた?

森: 若い世代の興味の半径がどんどん短くなっている。だから政治も、彼ら彼女らの半径からはみ出してしまって、関心が持てない。もちろん、いまの若者が自民党を支持するのを否定しているわけではありません。確かに就職状況は数年前に比べれば良くなっている。その意味で、自民党支持は理解できる。まあ、就職状況の変化も政策ではなく、現役世代の人口減少と年配層の大量退職による影響の方が大きいのだけど……。

でも、「最近の若者は」という爺さんに自分がなるのは面白くないけど、今の若者は素直で真面目だからこそ、一歩枠の外から出て物事を見る、ということをしない。社会に組み込まれたら枠の外に出ることは難しくなる。今体験しないならば、その視点を獲得できないまま人生を過ごすことになる。それはもったいないと思う。

話しながら思い出したけれど、この春に台湾国際桃園映画祭に呼ばれました。ドキュメンタリー映画の審査員を依頼されて、候補作は10本くらい。審査員は、僕の他には台湾のフィルムメーカーや評論家たちです。

特に印象に残った作品のタイトルは『進擊之路』と『機器人夢遊症』。前者は、若手弁護士たちと国家権力との闘いを描いている。そして後者は、台湾の最先端IT企業の非人道的な雇用状況を激しく告発している。この二作は共通して、権力と対峙する市民を描きながら、大学生たちが重要な被写体となっている。

『進擊之路』では、弁護士たちが支援する「ひまわり運動」(2014年3月、台湾の学生と市民が国会を占拠したことに端を発する社会運動)の大学生たちが数多く登場します。あらためて映像で見るとすごい。だって現役の大学生たちが国会をバリケード封鎖して武装した機動隊と対峙するのだから。結局は学生たちのこの運動がきっかけのひとつとなって、中国に急接近していた国民党政府は支持率を大きく低下させる。

 

『機器人夢遊症』も、最先端IT企業の組合運動を応援するためデモ活動に参加する大学生や市民たちが被写体です。グランプリはこのどちらかだと思ったのだけど、他の審査員たちの評価は低い。「森さんがそこまで言うなら、3位か4位にしておきましょう」とは言われたけれど、それでは納得できない。

そのとき、日本でも映画『生命』が公開されて何度も来日している呉乙峰監督から、「おまえは日本人だから驚いたのかもしれないが、俺たちは大学生たちのデモや政治活動は、テレビニュースなどでさんざん観ている。台湾では当たり前のことなんだ」と言われました。

武田: 森さんがこの時点で衝撃を受けている事自体がおかしい、と。

森: ああ、そういうことかと合点がいきました。でもね、香港では大学生が主体となった雨傘運動があったし、韓国では市民と大学生たちが主体となってパククネ大統領の罷免を街で激しく訴えた。アラブの春だって主体は若い世代です。なぜ日本の若者はこれほど保守化してしまったのか。

台湾の学生デモ(Gettyimages)

時おり市民集会などに呼ばれるけれど、参加者の平均年齢は絶対に60歳をはるかに超えている。愚痴るつもりはないけれど、その理由やメカニズムは考えないと。……結局は愚痴っているかな(笑)。

武田: 批評家の大澤聡さんが『1990年代論』という本を編著で出されて、つい先日、大澤さんと「90年代とはどんな時代だったのか」をテーマに対談したのですが、話していくうちに「皮肉、アイロニーが保たれていた時代だった」との話になりました。

『進め!電波少年』などのバラエティ番組はどこまでも徹底的にひねくれてみる執着に面白さがあったし、自分が学生時代に耽読していた古谷実の漫画『行け!稲中卓球部』はシニカルな笑いの応酬です。

そして、自分がこういったライターの仕事をする上で影響を受けたのがナンシー関さんで、彼女が週刊誌コラムで活躍していたのが90年代です。芸能界を中心に、テレビの中から感知したわだかまりに突っ込んでひっくり返すコラムを書き続けていた。暴力的にではなく、テクニカルに揚げ足を取ることに、世の中も、そしてメディアも寛容でした。

けれど現在は、あらゆる媒体から真っ先に皮肉や批評が削ぎ落とされていく。「揚げ足をとる」ってある種批判するための前提だとすら思うけれど、その前提を刈るように「揚げ足をとるな!」が積み重なり、それを止めてしまう。

森: そうですね。