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有名人の妻が語る「夫の後始末を終えて」

遺品より、気持ちの整理が難しかった

作家・曽野綾子さんが、夫・三浦朱門氏の看取りについて綴った著書が話題を呼んでいる。先立たれた妻たちの葛藤や苦悩には、誰もが胸を打たれる――。

ジョニー大倉

ミュージシャン
'14年11月19日没享年62

お父さんの病気で家族がまた一つに。
それこそが最期の贈り物でした

話者:大倉真理子さん

お父さん(ジョニー大倉)が肺がんで亡くなって3年がたちますが、実はまだ遺骨が手元にあります。私はいまだに気持ちの整理が完全にはできていないんです。両親が眠るお墓に入れてあげたいし、納骨しなければいけないことは理解していますが、最後の決心がつかない。

お墓に入ったら本当の別れになってしまう気がするので、まだ家にいてほしいんです。大倉家のお墓は山梨にあり、東京から毎日行くわけにはいかないので……。

私は10代でお父さんと結婚して、晩年はスタッフとして仕事場でも一緒に過ごしたので、亡くなったときはポッカリと心に穴が開いてしまった気持ちでした。1年間はほとんど家から出ることもできなかった。それこそ毎日泣きっぱなしでした。

お父さんがまだ生きているような感覚があるんです。それは楽曲や映像が残っているから。ツアーの映像を見ると、涙がこぼれそうになるけれど、「また会えた」と穏やかな気持ちにもなれるんですよ。お父さんがミュージシャンでよかったと思える瞬間ですね。

 

お父さんは気前良く人に自分のモノをプレゼントしてしまう性格だったので、貴重な遺品はあまりありません。矢沢永吉さんたちと'72年に結成したロックバンド『キャロル』時代のモノなんて何も残っていない。

数少ない遺品の中で私の宝物といえるのが、お父さんからの手紙です。お父さんからは「ありがとう」と直接言われたことは一度もありませんでした。でも、お父さんは筆まめな人で、仕事先から頻繁に手紙をくれました。

子供たちには書かない。私にだけです。言葉にできないぶん、文章にしたんじゃないかな。作詞家だったから、文字にして伝えるほうが楽だったんでしょうね。

手紙の内容は人生観など哲学的なものでしたが、末尾でさりげなく「俺はこんな性格だから苦労かけるけど、ついてきてほしい。いつもありがとう」と感謝の気持ちが綴られているんです。

若いときからずっとそうでした。不器用な人だから、そういうかたちでしか気持ちを伝えることができなかったんですよ。

こうした手紙はお仏壇の引き出しにしまっていますが、それを読むたびに泣いてしまいます。とっつきにくそうで恐そうなイメージがあったかもしれませんが、根はやさしい人でした。

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お父さんが病気になったことで、家族が一つになれたんです。大きくなった3人の子供たちはお父さんと微妙に距離が離れた時期もありました。でも、家族で看病をしながら長い時間を過ごすうちに、わだかまりが消えました。

お父さんから長男には「いろいろすまなかった」という言葉があったそうです。お父さんが自分の命に代えて、家族の絆を取り戻してくれた。最期の贈り物だったと思います。

キャロル時代に苦楽をともにした矢沢永吉さんからも入院中に花束が届きました。お父さんもベッドで「永ちゃんに会いたい」と話していた。実際は兄弟のような深い関係だったと思います。

引きこもっていた私は、いまはミュージシャンとして活動する息子たちのライブにかかわるようになりました。

11月19日の命日に、長男と次男が銀座タクトで毎年行っているライブも3年目になります。この場所は、お父さんの最後のステージとなったライブハウスです。

最後まで「ステージに立ちたい」と願っていたお父さんの思いを息子たちが受け継いだかたちです。

息子たちはお父さんのギターを手に、お父さんの衣裳を着て歌います。なにより素晴らしい楽曲を残してくれたことに感謝しています。「ファンキー・モンキー・ベイビー」など、キャロル時代にお父さんが作詞した曲を聴くと、「二十歳でよくこんな歌詞を書けたな」って思います。

英語と日本語が混ざった歌詞作りは、お父さんが先駆者でした。キャロルの活動中は、私は子育てに懸命で気づかなかったけど、亡くなってから「お父さんは偉大なミュージシャンだったんだ」とあらためて思いました。