実は少なくない人が経験している「無職期間」を考察してみた

愉楽と不安が交互にやってきて…
丹野 未雪 プロフィール

かつての同僚からお金を借りる

一般的に、仕事を探しているという状態が「無職」だ。非正規雇用者は潜在的に次の職場を探さなければならないから、つねに無職予備軍だ。契約社員、派遣社員、業務委託、パート、アルバイト、日雇い……雇用形態は収入格差とともに容易に社会の階層と結びつけられる。

たまたま生まれた時代の景気や社会構造によって階層化が決まる。仕方ないのかもしれないけれど、基本的に企業に都合よいようにつくられた制度のもとで、たかだか(とあえて書きます)次の仕事を探している期間になぜこうも苦しまなければなければならず、肩身狭く生きなければならないのだろう。自己責任? 仕事のミスで迷惑をかける「責任」と、制度によってなすりつけられる「責任」を混同されたら、あなたも困るのではないですか。

 

わたしたちは潜在的にあらたに無職にさせられてしまう時代に生きてしまっているけれど、しかしわたしは無職として日々過ごしていくうちに、「肩書」や「生産性のなさ」が、ふと反転するような感覚を覚えはじめたのだった。

「ようやく無職であることが前提であり、無職であることをベースにしてものを考え始める時代がきている、その状況そのものがあたらしいと感じました」

きらきらした目でこう語ったのは政治学者の栗原康さんだ。今年8月、東京・田原町Readin’ Writin’にて行なわれたトークイベントで、栗原さんは言った。

「いまの労働ありきの価値観をすべてぶち壊して、空っぽになる、ある意味で無職になりきるっていうことですよね」

この栗原さんの問いというか確認にうまく答えられなかったのだが、仕事をしていると、仕事を通じてしか得られない信頼感が生まれるときがある。生活に窮したとき、わたしはかつての同僚からお金を借りた。労働の現場を通じて得た数少ない信頼できる友人だ。

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家族以外にお金を借りるのは初めてで、誤解がないように話すことをメモして電話した。彼女は声の震えを気取られないようにしながら「いいよ」と言ってくれた。そして、メールでいいから一応借用書を送ってと言い、わたしはネットで「借用書」を検索して必要な事項を調べ、すぐメールした。同じ職場を離れ、久しぶりに連絡をよこしたと思ったら生活費のない人になっていたわたしを、彼女はひとまず受け止めてくれた。

なんでもない自分を認めてくれる人と出会えたとき、たぶん「労働ありきの価値観」は反転する。壊れる。ナイーブに過ぎるだろうか。でもわたしは彼女に借金することで、自分の支えができたような気持ちになった。いま思うと、カードローンとかにしなかったのは、そういう支えがほしかったからなのかもしれない。