ブレードランナー他、なぜいま歴史的SFの新作が次々撮られるのか

いまそこにある「人類の危機」
中川 右介 プロフィール

3つの映画が教えてくれること

現在すでに多くの大工場でロボットが活躍している。それらは単純作業をしている機械だ。

なぜ人が機械を開発してきたかといえば、楽をするためだ。自動車にしても、突き詰めれば、座ったまま移動するための道具であり、電話は遠くの人と話すための道具だ。

その延長で過酷な環境での労働が可能な機械を求めロボットが生まれた。原発の事故処理のため、放射能濃度が高い場所での労働力としてロボットは期待されている。すでに戦闘用ロボットだって、開発されているだろう。

ロボットにより効率よく働いてもらうには、自分で判断できるようになってもらう必要があり、AIとロボットとは融合する。

『猿の惑星』でも『エイリアン』でも『ブレードランナー』でも、人間は体力的には劣った存在として描かれている。

実際のところ、もし知性のある猿やアンドロイドやレプリカントが実在するのなら、人間はとても敵わないのは明白だ。人間が優越性を持っているのは、いまのところ「人間らしい感情」だけだ。

その人間の感情が、『猿の惑星』では猿よりも愚かで劣ったものとして描かれる。『ブレードランナー』でも、レプリカントのほうが、いい意味での「人間らしい感情」を持ち、人間はその暗黒面が強調される。3シリーズでは『エイリアン』に登場する人間がいちばんまともだが、エイリアンとアンドロイドという2つの敵と同時に戦うにはあまりにも弱い。

 

3つの映画は、人間が地球のなかで(宇宙のなかででもある)いかに弱い存在かを教えてくれる。

その弱い人間が他の動物を支配し、地球の王となって栄えているのは、武器を得たからにほかならない。武器がなければ、いまの私たちは、熊やライオンはもちろん、ミツバチの集団にも勝てない。

武器を作れたのは脳が発達し思考できるようになったからだ。だが、その思考力も、AIには勝てない。前門の狼、後門の虎ならぬAIだ。

いま、私たちは、とんでもない岐路に立たされているのだと、3つの優れた娯楽映画と、『サピエンス全史』は教えてくれる。

サピエンス全史