ブレードランナー他、なぜいま歴史的SFの新作が次々撮られるのか

いまそこにある「人類の危機」
中川 右介 プロフィール

冷戦時代の国際関係に置き換えれば、アンドロイドは日本の暗喩である。日本人はそんなことは意識せずに、この映画を怖がりつつも楽しんで見ていたが、アメリカの支配階層である白人から見れば、黄色人種である日本人は、同盟関係にあるとはいえ、何を考えているのか分からない不気味な存在なのだ。

最新作『コヴェナント』は、誕生したばかりの(つまりは完成したばかりの)アンドロイドと、製作者である科学者との対話で始まる。

「私はお前の父親だ」と科学者が名乗る。アンドロイドはそれを理解する。そして「あなたが私を創ったとしたら、誰があなたを創ったのですか」と問いかける。人間を創ったのは誰なのか、と。

この根源的な問いに、大昔の人間は、「神」という概念を生み出して、とりあえずの答えを出した。こうして宗教が誕生した。その宗教が人間の社会を変えていったというのが、『サピエンス全史』に書かれていることのひとつだったと、思い出した。

『プロメテウス』『コヴェナント』とも女性が主人公で、観客は彼女たちに感情移入しながらエイリアンとの死闘を見るわけだが、物語の真の主人公はクルーとして乗り組んでいるアンドロイドとも言える。

前シリーズでは、人間対エイリアンの物語だったが、新シリーズではアンドロイドも加わっての三つ巴の戦いになっていく。人間は体力ではエイリアンに劣り、知性ではアンドロイドに劣る。勝ち目はなさそうだ。

 

人間とレプリカントのあいだ

最後が、10月27日に日本公開となったばかりの『ブレードランナー2049』である。前作『ブレードランナー』は1982年の作品で、その監督だったリドリー・スコットが製作総指揮にあたり、ドゥニ・ヴィルヌーヴが監督した。

前作はフィリップ・K・ディックの1968年の小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作としていたが、『2049』のストーリーはオリジナルだ。

1982年に『ブレードランナー』が公開されたとき、映画のなかで描かれる近未来社会は2019年の設定だった。

ブレードランナー

地球は環境汚染がひどくて人間が棲むには適さなくなり、大半が他の星へ移住していた。それでもまだ多くの人が残っており、ロサンゼルスは超高層ビルが立ち並び、エアカーが飛びまわっている。一方、宇宙では、遺伝子工学によって作られた人造人間が奴隷労働を強いられている。

あと2年でこういう世界が来るとは思えないので、35年前の未来予測はだいぶ外れたが、その一方で、『ブレードランナー』で描かれている情報処理の端末や技術は現実の2017年のほうが進んでいるようだ。

『2049』は、タイトルのとおり2049年が舞台となるが、2017年の現在から32年後という設定ではなく、『ブレードランナー』における架空の2019年から30年後という設定である。

原作のアンドロイドはロボット、つまり機械なのだが、『ブレードランナー』ではレプリカントと呼ばれ、人造人間という「生物」として描かれている。より人間との区別がつきにくい。

レプリカントがどのように製造されているのかは曖昧だ。赤ん坊として誕生して成長していくのではなく、最初から成人として誕生する。だが、子供時代からの記憶が埋め込まれており、自分がレプリカントなのか人間なのか分からない者もいる。

『2049』は時代設定が未来世界なのでSFだが、物語の骨格は正統派ハードボイルドミステリだ。レイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドの系譜上にある。主人公は私立探偵ではなく警察官ではあるが、行方の分からない人物を探すのが仕事という点で、私立探偵小説の王道だ。ラストになって意外な真相が明らかになる点でも、ミステリとして優れている。

レプリカントと人間との違いがどこにあるのかという根源的な問題は、『2049』でさらに複雑さを増す。