ブレードランナー他、なぜいま歴史的SFの新作が次々撮られるのか

いまそこにある「人類の危機」
中川 右介 プロフィール

人間が猿よりも優れていることは?

2001年、映画『PLANET OF THE APES/猿の惑星』が公開された。

これはリメイクの一種だが、猿が人間を支配するという基本設定だけで登場人物もストーリーもオリジナルなので、「リ・イマジネーション」(再創造)という概念に分類されるらしい。ティム・バートンが監督した。続編も作れるような終わり方だったが、シリーズ化はされなかった。

こうした経緯を経て、2011年に公開されたのが『猿の惑星 創生紀』で、リメイクではないので「リブート」(再起動)と称される。

猿の惑星 創世記

オリジナルの『猿の惑星』シリーズは、どうして猿が知性を持つようになったのかが具体的に描かれていなかった。タイムワープという物語手法を使って、辻褄を合わせていたのである。

リブート版は、知性を持ち人間の言葉も話せるチンパンジーが誕生した理由から描いていく。

『創生記』は、アルツハイマーの治療薬開発過程の動物実験で、知性が高くなったメスのチンパンジーがいるところから始まる。そのチンパンジーの子供がシリーズの主人公になる「シーザー」で、母親以上の知性を持っていた。シーザーは囚われの身の猿たちと団結して反乱を起こし、大暴動となって勝利し、自分たちの棲むべき森へ向かう。

続く『新世紀』(2014年)では人類が絶滅していく過程が描かれる。

アルツハイマーの治療薬は、猿には知能を向上させる効果があったものの、人間に投与すると死に至る症状を起こし、しかも凄まじい感染力を持っていた。その薬が漏洩し感染者が出て、瞬く間に全世界に蔓延して人類の数は激減し、文明は一気に劣化していった。

猿の惑星 新世紀

一方、シーザーをリーダーとする猿たちは平穏に暮らしており、人間への敵意はなく、ましてや人間を支配しようなどとは思っていない。だが、猿のコミュニティ内での派閥争いによって、猿と生き残っていた人間との戦争になり、猿が勝利する。

最新作『聖戦紀』では、生き残った人間のなかの狂信的な軍人との戦いになる。これも猿が勝つが、その戦いの過程でシーザーも傷ついてしまう。

 

『創生期』は人間が中心のドラマで、主人公となる研究者は「いい人」として描かれているので、観客としては彼に感情移入しながら見ることができる。

『新世紀』は視点が完全に猿のシーザーに移り、「いい人」も何人か登場するが、それは人間集団のなかでは異端となっている。観客は、自分が人間であることを忘れ、シーザーに感情移入してしまい、猿たちの戦いを応援し、最後に猿たちが勝利すると、安堵する。

『聖戦紀』では「いい人間」はひとり、口のきけなくなっている少女しかいない。彼女はシーザーたちに保護され、行動をともにする。3作目にいたり、観客は、登場する人間たちの誰にも感情移入はできず、人間側が敗北すると喝采を送ってしまう。

シーザーたちは知性があるとはいえ、人間ほどではない。火は使っているが、電気などないし、動力もない。コミュニケーションは手話が主体で、一部の猿だけが人間の言葉を話せ、文字も読み書きできるだけだ。

しかし、その生き方は、映画に出てくる人間たちよりは、はるかに賢い。この映画での人間たちは、武器を作り、使いこなすことはできるが、あまりにも愚かで、卑しい。

だが、人間たちは格別にひどく描かれているのではない。そこにいるのは普通の、どこにでもいる人間、私たち自身と同じだ。つまり私たち人間は思考と感情面では猿に劣っている。

現在の人間が猿に優っているものが、銃をはじめとする武器、つまり軍事力しかないことに気づき、なんとも虚しくなる。