いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする「異常な論理」

これを変えねば、いじめは消えない
内藤 朝雄 プロフィール

マスコミも加担している

筆者の経験を一つ紹介しよう。

【NHKの事例】
筆者のもとにNHKから出演依頼がきた。筆者はすぐに了承しますとメール送信し、スケジュールに日程を入れておいた。電子メールで送られてきた企画書には、驚くべきことが書かれていた。
「『いじめられた生徒は、なぜ話を聞いてくれる人がいないと自殺するのか?』と聞きますので、『気持ちを受け止めてもらうことが大切だから』と答えてください」。
それに対し筆者は、「話を聞いてもらえれば、いじめ被害者が自殺しなくなるなどということはありません。ひどいいじめをされて、話を聞いてもらって、その後で、相変わらず加害行為が続いて絶望し、自殺するケースはいくらでもあります。重要なことは、いじめ加害者の迫害を止めること。狭いところに閉じこめないことです」と電子メールで返答をした。
すると、まったく返事が来なくなった。放送日が迫っていたため連絡を入れたところ、「内藤さんの出演はとりやめになりました」とのことだった。
実際に放送された番組を見たところ、筆者の代わりになぜか同姓の元ボクサーが登場し、自分のいじめ体験を語った後、「いじめられている君の気持ちはわかるよ」といった心の話をしていた。

〔PHOTO〕iStock

最近のいじめ報道では、限られた報道枠になにを押し込むかが、教委の言動関連にかたよっている。今回のいじめ自殺事件についての報道も、大半は教委の言動に関するものだ。

教委の背任行為に関しては、少ない報道枠で社会正義の観点から非難し、そのとおりであれば懲戒免職にすべきではないかと報じればよいだけだ。また、背任行為に対し法的な処罰規定をもうけるべしと簡潔に報じればよいだけだ。

報道枠の大部分は、子どもたちを苦しめているいじめと、それを歯止めなく蔓延させ、エスカレートさせている学校制度の改革に割くべきだ。

メディアは最も重要な①中島菜保子さんに対する集団加害の問題を無視し、②集団加害に教員が関与していたかもしれない問題を無視し、③集団加害が蔓延しやすい有害環境としての学校の問題を無視する。

そして、教委の言動に大量の報道枠を絞ったうえで、教委(教育、学校)への信頼が危機にあるとのストーリーで報じ、一般大衆がそれを「あたりまえ」に受け止める。問題の中心が正義から信頼にズラされたことに、だれも異をとなえない。気づきもしない。

 

一人の女子中学生が学校のグループによっていじめ殺されるという痛ましい事件が起きたのだ。いじめ殺すとは、「さんざん苦しめ悩まして殺す。苦しめ抜いて死なせる」(『日本国語大辞典』)の意である。

社会正義という点からは、菜保子さんをいじめ殺した加害者たちにも厳しく責任をとらせることが要請される。教育でごまかすことができるような問題ではない。

また、社会正義は、このような事件が起きる有害環境としての学校のしくみを分析し改善することを要請する。

もっとも重要なことは、菜保子さんは、学校で特殊な集団生活さえしなければ、追いつめられて死ぬはずがなかったということである。

また加害者のA子、B子、C子ら(場合によっては教諭も含まれる可能性がある)も、学校で特殊な集団生活さえしなければ、他人を死においつめる怪物になることはなかったということである。

学校の閉ざされた特殊な集団生活が、あたりまえの市民生活を送っていれば死ぬはずのなかった少女を遺体にし、怪物になるはずのなかった人を怪物にしたのだ。