いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする「異常な論理」

これを変えねば、いじめは消えない
内藤 朝雄 プロフィール

「信頼」ではなく、チェック機能を

今回の事件では、教委はいじめの隠蔽工作に手を染めていたと考えられる(くわしくは前回および前々回を参照)。これは、公共団体幹部グループによる重大かつ悪質な背任行為である。相応な処分は懲戒免職しか考えられない。

さらに教委によるこの背任行為は、遺族に対しては、名誉毀損(虐待デマの流布)や、これによって非人道的な精神的苦痛を与えた(虐待デマが子を失った遺族に対するものであることを考えてみよ!)可能性も含めて追及されるべきものである。

だが報道によれば、教委は処罰も処分も受けず、記者会見で「被害者によりそい、信頼を回復しながら次に向かっていくよう努めます」と語る。メディアも「不信」「信頼の危機」「信頼回復」といった報道を繰りかえす。被害者も「信頼が失われた」と語る。

メディアでは、「信頼を取り戻すにはどうしたらよいか」といった教育の問題へ主題がすり替わった。教委幹部たちは不正行為を行ったかどうかを追究されず、不信をまねいた過誤によって非難されるだけの人となった。

何か問題が生じたときに、合い言葉のように口に出される「教育(教委、学校)への信頼」が、社会正義によるチェック機構を働かないようにする。そして、教委や学校関係者の不正や残酷を免責し、教育関係者はどんな非道をはたらいても責任を問われないという事態を生み出す。

〔PHOTO〕iStock

教育委員会や学校は、たとえば土建会社のような他の職種と同じものとみなさなければならない。

土建会社が談合や政治家への賄賂をしないと期待できるのは、社会正義の制度による厳しいチェック・システムがある場合だけである。土建会社が土建会社であるというだけの理由で土建会社への信頼を要求するような習慣は有害である。

それとまったく同じで、教育関係者が教育関係者であるというだけの理由で教育関係者を信頼するという習慣も、きわめて有害である(ここでは、チェック・システムが重要という一点に限って土建会社を比較対象にした)。

 

子どもを守るためには、そのような信頼をなくさなければならない。

重要なのは、教育(教委、学校)への信頼ではない。社会正義のしくみを確かなものにすることだ。

私たちの目標は、教委幹部も教員も生徒も悪をしたくてもできなくなり、そのうち大部分の人が悪をなそうとも思わなくなり、善人になってしまうような、うまくまわるシステムをつくりあげることだ。そのうえで、うまくまわっている程度に応じてそのシステムを信頼すべきなのだ。

信頼できるチェック・システムという観点からは、いじめを隠すと得をする利害当事者である教育委員会が、いじめ調査委を設置することを、即座にやめさせなければならない。これは暴力団が警察を設置するようなことだ。

「被害者によりそい、信頼を回復しながら次に向かっていくよう努めます」といったたぐいの教委の発言には、被害者を害しておきながら、きずな・よりそい・信頼関係をまくしたてるストーカーと<同じかたち>のおぞましさがある。