久米宏、ついに「ニュースステーション」を振り返る

メディアに生きて50年
久米 宏 プロフィール

―本書後半は'85年に始まる『ニュースステーション』(Nステ)での奮闘が明かされています。

まず心がけたのは、中学生でもわかるニュース番組を作るということ。それまでニュース番組の視聴者といえば、新聞を読むおじさんたちばかりでしたが、僕は未来を担う子どもたちにこそ見てほしかった。そこで、難しい専門用語を使わず、わかりやすい言葉で伝えるようにしました。

もうひとつこだわったのは、「人がやらないことをやる」ということ。Nステをやっているときの僕は夕方から番組が始まるまで各局のニュースを見て、そこで語られたコメントは絶対に言わないようにしていました。たとえ、それが自分の主義主張と異なることであっても人と違う意見を言うようにしました。そうでなければ、僕がやる意味がないと思っていたから。

―久米さんの発言に政治家が怒ることもありましたが、言葉を控えようと考えたことは?

そんな気持ちになったことは一度もないです。放送していたテレビ朝日からも、発言について注文をつけられたことはありません。最後まで、好きなことを言えました。

―Nステはセットや見せ方にもこだわり、後続のニュース番組にも大きな影響を与えました。

よく真似されたのはテーブル。Nステでは、出演者がお互いの顔が見えるようにブーメラン型のテーブルを使っていたんですが、他の報道番組も似たようなものを使い始めました。僕がよく言っていた「CMの後もニュースです」というフレーズも、未だに使われている。なぜみんな同じことしかやらないのか。新しい方法やアイディアは無限にあるはずなのに。

―そう聞くと、久米さんの新しい番組を見たくなります。

いやいや。今の僕は、仕事を減らすことばかり考えていますから(笑)。

(取材・文/平井康章)

『週刊現代』2017年11月4日号より