「排除」発言を引き出した記者が見た「小池百合子の400日」

なぜジャンヌ・ダルクは墜ちたのか
横田 一

リベラル派を排除すれば、別の新党結成、ひいては野党乱立を招く恐れがあるのは予測できたはずだ。にもかかわらず、小池氏は自らの首を絞めるような愚行を始めてしまった。小池氏の「排除」は単なる失言ではなく、事実だった。

案の定、その後「排除」されたリベラル派議員を中心に立憲民主党が結党、希望の党を上回る議席を獲得し、野党第一党となったことは皆さんもご存知の通りだ。

 

止められる側近がいなかった

「女帝」のご乱心を止める側近がいなかったのも致命的だった。立憲民主党の結成前にこの「排除発言」を撤回し、「公認申請者は排除しない(全員公認)」と方針変更をしていれば、失速を避けることも可能だったに違いない。

しかし実際に希望幹部が反省の弁を口にしたのは、立憲民主党の結党後。希望の公認候補を決める民進側の窓口だった玄葉光一郎・元外務大臣は「(排除)発言がなければ、希望の党は200議席に迫る勢いだ」(13日)、「『排除』という言葉を使わなかったら、今ごろ自民党と競っていた」(18日)と悔やみ、小池氏もBSフジの番組で「きつい言葉だったと思うが、政策の一致(が重要)ということを申し上げたかった」と釈明したが、時すでに遅しであった。

ネット上では、小池氏のイメージダウンを招く映像が急速に広がっていった。私が「前原代表を騙したのか」と聞いた瞬間、小池氏はにやりと笑ったのだが、その様子を映した動画が「『前原をだました?』に『ふふふ』さすが緑のタヌキ(笑)」といった説明付きでSNSで拡散されたのだ。

わずか1年前の都知事選では、自民党から公認がもらえずに崖から飛び降りるように出馬し、「草の根改革派」として大勝した小池氏が、今回は一転、一手に公認権を握って「リベラル派大量虐殺」を断行する独裁者となったーージャンヌ・ダルクを彷彿させる善玉のイメージから、「女ヒトラー」(日刊ゲンダイ命名)のような悪玉イメージに変わってしまったのだ。

10月22日の投開票日を迎え、蓋を開けてみると、7月の都議選圧勝が幻だったかのように、お膝元である東京都の小選挙区でも希望の党は惨敗した。

その原因は、容易に推定できた。都議選で、自民党の歴史的惨敗と都民ファ―ストの会圧勝を実現した立役者である野田数・特別秘書(前・都民ファ代表)と選挙プランナーの松田馨氏が、今回の総選挙には一切関わっていなかったのだ。

小池代表以外で候補者選定に関わっていたのは、産経新聞出身の事務総長のO氏と小池氏と懇意なジャーナリストのU氏で、リベラル派排除を進めたのはO氏と囁かれていました。都議選では、水面下の調整を含めた陣頭指揮を取った野田氏と、選挙プランナーとして候補者に指南をした松田氏が都民ファ圧勝に大きく貢献しましたが、今回の総選挙では2人とも外されていたようです」(都政関係者)

天下分け目の決戦で、実績抜群の有能な「部下」をわざわざ外し、先の読めない不寛容な側近で脇を固めたことが、都議選と正反対の惨敗を招いた主因ではないか。

皆「寛容」を期待していたのに

3ヵ月前の都議選で都民ファは、公明党や連合、民進党離党者などの非自民勢力を幅広く結集し、自民党を歴史的大敗に追い込んだ。その時に掲げたのが「情報公開」の旗印。森友・加計問題での安倍政権の情報隠蔽体質に対する批判が高まっていることと、都が情報公開を進めていることを重ね合わせ、争点化したのだ。

6月1日の都民ファ総決起大会の囲み取材で、私が「(都議選を)『ブラックボックス化の自民党』対『透明化の都民ファーストの会』という構図と捉えていいのでしょうか」と聞くと、小池知事は笑顔でこう答えた。

たまにはいいことを言ってくれますね。ありがとうございます

小池知事と入れ替わるように代表から幹事長となった野田氏も、次のように勝因分析をしていた。

勝因は、自民党の体質が表面化したためだと思っています。今回の都議会選挙が注目を浴びたのは、小池都政が情報公開をすることによって、都政の様々な課題が浮き彫りになった結果です。選挙の大きな争点は『情報公開を進める都民ファーストの会』対『隠蔽体質の自民党』。都議選でしたが、国(安倍政権)の隠蔽体質に『NO』を突きつけたのです

前述の通り都民ファは都議選で、やり手の若手選挙プランナーの松田氏を選挙対策に抜擢していた。去年11月12日の小池政治塾「希望の塾」第2回で講師を務めた松田氏は、2006年と2010年の滋賀県知事選で嘉田由紀子・前知事の連続当選にも貢献した人物だ。

ちなみに小池氏と嘉田前知事には、女性知事以外の共通点がいくつもある。2人とも環境保護推進派で、選挙のシンボルカラーはグリーン、そして知事選で自公推薦候補を打ち破った。しかも松田氏は2012年12月の総選挙で、嘉田氏が知事と「日本未来の党」代表を兼任した際にも選挙プランナーを務めていた。野党が乱立して自公が圧勝、第2次安倍政権が誕生した時のことである。

今回の総選挙で小池氏が、都議選圧勝に貢献した松田氏や嘉田前知事に助言を求め、野党乱立(日本未来の党・民主・維新・みんなの党)を招いた当時の失敗談に耳を傾けていれば、あの『排除』発言を口にすることはなかったかもしれません」(永田町ウォッチャー)

私の質問の主旨は、「『安倍政権打倒』という目標と『リベラル派排除』は両立しうるのか」という疑問を呈示することだった。「『寛容な改革保守』という党の綱領に従って、公認申請をする民進前議員を全員受け入れ、ハト派からタカ派まで包み込む非自民勢力の結集を実現することこそ、政権交代には欠かせないのではないか」と言い換えることもできるが、この問いかけに小池氏は答えようとしなかった。

人選ミスに加えて、小池氏自身の聞く耳を持たない「独裁的体質」が転落に拍車をかけたのではないかと思う。

選挙の後、私のもとには「よくぞ質問してくれた」という声も、「あんなことを聞かなければ、希望の党は安倍政権を倒していたかもしれないのに」という声も両方届いている。

確かに、あの会見で私が質問をしなかったら、あるいは私が半年ぶりに小池氏に指されなかったら、選挙の結果はかなり違ったものになっていたかもしれない。また個人的には、自民党を再び大勝に導く遠因を作ってしまったと思うと、複雑な気持ちではある。

しかし一方で、小池氏が「排除」した民進党リベラル派はすぐに立憲民主党を作り、安倍政権に批判的な民意の受け皿となった。彼らが希望の党にいったん合流したとしても、遅かれ早かれ、袂を分かつ日は来ていたはずだ。その日が早まっただけだと考えれば、むしろ選挙後の混乱を未然に防ぐことになったのかもしれない。