「日本の核武装論」飛びつくのも忌避するのも、いずれも安直すぎる

もうひとつの議論をしよう
櫻田 淳 プロフィール

核武装できないという予断もまた有害

筆者は、雑誌『中央公論』(2017年11月号)に掲載された渡部恒雄・笹川平和財団上席研究員との往復書簡の中で、日本の「暫定核武装」という政策オプションを提案した。このオプションの趣旨は、「朝鮮半島に核が存置される間」と期限を切った上で、核武装に踏み込むというものである。

それは、先に触れた「二重の要請」を応える意味で、有効な処方箋に1つになり得るであろう。それは、次の2つの観点から説明できる。

第一に、「朝鮮半島の核」が久しく「唯一の被爆国」としての立場を強調した日本ですらも核武装に走らせようとしている、と指摘されることは、この件での日本の切迫意識を世界に伝えることになる。無論、「日本の核」は、特に中露両国の反発を招くかもしれない。

それゆえ、「日本の核」に絡む議論は、「日本は早晩、核武装に踏み切るであろう」という懸念に対応するものであるだけでなく、「日本は結局、核武装に踏み切ることができないであろう」という予断を封ずる意味合いも帯びたものでなければならない。

 

この予断は、「議論するだけで決して行動に移せないであろう」という意味で、日本の姿勢に対する軽侮を招きかねない。現在の北朝鮮や中露両国のように「力の論理」を露骨に追求する国々に対して、それでは牽制として働かかない。

そして、「日本暫定核武装」という政策選択には、ゲーツ提案が示すような、「朝鮮半島の核」が残存する形で事態が落着することを牽制する意味合いもある。

加えて、米国にも「日本の核保有」を懸念する声が上がるかもしれない。けれども、それに応ずる意味では、日米両国が既に「ヒロシマ・真珠湾の和解」を実現させている意義は大きい。「日本の核」は結局、西側同盟の中での英仏両国の「核」以上のものにはならない。これは、対米関係上、認識の共有を徹底させておくべきものであろう。

暫定核武装という提案の意味

第二に、「日本の核」という政策選択に際して、「朝鮮半島に核が存置される間」と期限を切るという留保は、「朝鮮半島の核」が除去された暁には、日本も自らの「核」を放棄すると、予め宣言することを意味している。

「日本の核」に対する最も大きな懸念は、それが核拡散を本格化させ、国際情勢の不安定化を加速させるというものである。「朝鮮半島の核」の脅威に対応する必要に迫られたとはいえ、「唯一の被爆国」としての立場を久しく強調してきた日本が、「核」の選択に踏み切ることは、それ自体が核不拡散体制に対する甚大な打撃になる。先の述べたように、それが日本の声望や信頼に及ぼす影響も大きなものになる。

故に、「暫定」核武装という体裁で、日本が先々、核拡散の流れを反転させると表明するならば、この政策選択は、「唯一の被爆国」として語ってきた信条とは、それほど齟齬を来たさないですむ。

無論、こうした宣言がどこまで信用されるのかという懸念があるかもしれない。けれども、そうした懸念に応ずる意味でも、日本が従来、核不拡散体制を擁護しつつ、それに誠実に取り組んできた実績は、重要な意味を持つといえる。

先に触れたICANのノーベル平和賞受賞決定直後、外務省は「核廃絶というゴールは共有している。国際社会で核軍縮・不拡散に向けた認識が広がることを喜ばしく思う」という趣旨の外務報道官談話を発した。このことは、先々の「日本の核」を展望する上でも、必要な配慮であったと評していい。

「核廃絶というゴールは共有している」という言葉の通りに、日本は「唯一の被爆国」としての信条を弊履のごとく捨てるわけにはいかないのである。

それでもハードルは高い

振り返れば、日本には、戦国時代に存在した膨大な数の鉄砲を、江戸初期に至って一挙に縮減したという経験がある。こういう歴史上の経験は軽視されるべきではないし、むしろ強調されるべきものであろう。

いうまでもなく、「日本暫定核武装」は、それ自体が誠にアクロバティックな政策選択である。「朝鮮半島の核」に対抗する都合の上であっても、自らの「核」を「先々に廃棄することを見越して保有する」という政策選択は、内外に判り難い印象を与えるものあろうとは充分に予測できる。

筆者は、「日本暫定核武装」という政策選択には、核不拡散体制に「雨降って地固まる」効果を期待する。しかしながら、そのような期待が、特に核不拡散体制を擁護してきた国々に受け容れられるかは、全く保証の限りではない。「日本の核」という政策選択は、むしろ日本が「雨を降らせた」という事実だけが、強く印象付けられる結果を招くだけかもしれない。

また、暫定という「日本の核」の意味、特に「日本が先々に核廃棄に踏み切る」、という留保の意味を、適切に伝える外交上の努力が伴わなければならない。けれども、その努力もまた決して容易ではあるまい。

このように、暫定という制限つきのものであったとしても、「日本の核」という独自核武装の政策選択は、実際には誠にハードルが高いものであるといえる。