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「日本の核武装論」飛びつくのも忌避するのも、いずれも安直すぎる

もうひとつの議論をしよう

北朝鮮の「核」に対抗するために、日本も「核」を以てすべきである、と説く議論は、過去4半世紀の間、北朝鮮情勢が緊迫化する局面で、間欠泉のように噴き上がっていた。

北朝鮮の核開発がいよいよ成就しつつあるそうだ。この現在の情勢下では、「『日本の核』が日本の国家としての独立や威信を担保する」という民族主義的な議論も、「『日本の核』を考えること自体が不道徳の極みである」という平和主義心情に沿った議論も、どちらも、あまり役に立つものではない。

実際、ドナルド・J・トランプ・米国大統領は、大統領選挙の最中に、北朝鮮情勢対応の方策として日韓両国の核武装に言及した。これを一例として、特に米国国内で日本の核武装を展望する声が頻繁に聞かれるようになっている。こうした声は、一面では、「唯一の被爆国」としての日本の事情に対する理解の浅さを表しているといえる。けれども、それを嘆かわしいものとして一蹴するわけにはいかない。

 

なぜかといえば、この状況は、日本独自の核武装、つまり「日本の核」という政策選択の可能性と条件を検証する議論が、先に触れた「核」に絡む民族主義的な議論と、平和主義的な議論の狭間で、埋没してしまったことの帰結だからである。この議論を詰めなければ、核に対し、自らが持つ、持たないにかかわらず、いかなる対応が可能なのかを展望することはできない。

ここでは、まず、「日本の核」をめぐる環境について検証することから始める。

半島に核が残る事態が日本にとって最悪

この議論で、留意すべきなのは、次の2つの点である。

まず、「日本の核」という政策選択を考える際に踏まえなければならないのは、現在の北朝鮮情勢が日本に及ぼす最悪事態とは何であるか、である。

それは、一般に、自明のように語られている「朝鮮半島で火が噴き、日本にも火の粉が降りかかる」事態なのではない。「朝鮮半島に核が残り、その核を背景にした圧力を絶えず受ける」事態こそが、日本にとっての最悪なのである。

「日本は、従来、極東で中露両国の『核』と共存してきたが、『朝鮮半島の核』とは共存できない」。これが「朝鮮半島の核」に関する日本の基本認識である。

米国世論の中には、ロバート・ゲーツ・元国防長官が披露したように、朝鮮半島の「核」を一定程度、追認した上で、米中両国が金正恩体制の保証を含めた妥協を図るという提案も出てきている。ただし、こうした落着の仕方は、日本にはとうてい受け容れられまい。

「日本の核」という政策選択は、朝鮮半島に「核」が残る事態が現実のものとなった場合に、なかば死地に追い込まれたが故の窮余の一策として語られる向きがある。また、先に触れたトランプ発言を含めて、米国での「日本の核」に絡む議論は、「核には核を」、という機械的な勢力均衡認識が反映されている。

けれども、そうした「止むに止まれぬ」体裁での「核」の選択は、長期的には日本の利益に合致しないだろう。危機意識に煽られた末に、泥縄のように「核」を選択する事態は、日本の対外政策における思想欠如と論理不在とを内外に印象付けるであろう。それが日本の対外的な声望や信頼に損失を与えることは、論をまたない。

「実際のところ、どのような条件や体裁の下でならば、日本は、核武装に踏み切れるのか」。こうした議論は、追い詰められてではなく、早々に国内で深めて、内外に発信しておくことが重要なのである。

捨てられない「唯一の被爆国」の立場

次に、従来、「唯一の被爆国」という立場を強調してきた手前、「日本の核」という政策選択は、相当に大きなハレーションを内外に生じさせると予想される。日本には、「核」に絡む特別な大義があり、その大義を実現するのに、ふさわしい使命や責任があるという理解は、広く受け容れられている。

折しも、2017年のノーベル平和賞は、国際非政府組織「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に授与されることになった。去る7月、核兵器禁止条約が国際連合で採択されたことに対するICANの貢献が、授賞事由と説明されている。

日本のメディアは、この件について総じてポジティブに報じていた。また、核兵器禁止条約に参加しなかった日本政府の対応には、被爆者団体を含めてICANに共感を寄せてきたような人々からは、批判的な眼差しが投げ掛けられている。「朝鮮半島の核」が日本に迫っているものとは逆向きのべクトルが、「日本の核」に関しては強烈に働いているのである。

「『朝鮮半島の核』の脅威を前にして、日本は結局、核武装に踏み切るであろうし、それを裏付ける能力もある」と思われている立場は、それにもかかわらず日本が事あるたびに強調してきた「唯一の被爆国」という立場とは、互いに矛盾したものである。

しかしながら、日本が「日本の核」の意味を説明できずに、この2つの立場の乖離が内外に印象付けられるならば、日本の姿勢それ自体に疑念や不信の眼差しが向けられかねない。その疑念や不信こそが、日本にとって憂えるべきものであろう。

故に、「日本の核」に絡む政策選択は、「『朝鮮半島の核』に対抗する」という戦略上の要請と「『唯一の被爆国』としての日本の信条と声望を保つ」という要請とに応えるものでなければならない。「日本の核」という政策選択は、この「二重の要請」に応えることを前提とするという意味では、他の国々には及びも付かぬほどの強靭な論理の裏付けが必要になるであろう。