「400万の護衛がついている!」ヒトラーに決して屈しなかった国王

国を守るとはどういうことか
君塚 直隆 プロフィール

「すべてをノルウェーのために」

ナチス・ドイツによる侵攻に頑強に抵抗したもうひとりの国王が、クリスチャンの2歳年下の弟にしてノルウェー国王、ホーコン7世(在位1905~57年)であった。

1940年4月9日の早朝、ドイツ軍はコペンハーゲン襲撃と時を同じくして、ノルウェーの首都オスロや西海岸6ヵ所を同時に急襲した。知らせを聞いたホーコン国王の初動も早かった。

兄クリスチャン10世は、短時間でコペンハーゲンを包囲され、国民の安全のために侵攻から1時間で降伏せざるを得なかったが、その兄とは異なり、ホーコンは果敢に抵抗を試みた。

オスロはドイツから少し距離があり、何よりもフィヨルドで入り組んだ長い沿岸線と山がちの地形を持つことがホーコンに幸いした。さらにオスロの要塞を守る将兵たちの活躍もあり、ドイツ海軍の巡洋艦を沈めることにも成功を収めていた。

 

こののち国王とオーラヴ皇太子(のちの国王オーラヴ5世 : 在位1957~91年)は、政府閣僚とともに北部に逃れた。マッタ皇太子妃はまだ幼かったラグンヒル(10歳)、アストリッド(8歳)、ハーラル(3歳 : ハーラル5世現国王)という3人の子どもたちを連れてアメリカ合衆国へ亡命する。

ノルウェー軍による徹底抗戦は各地で続いた。しかしドイツ軍による猛攻に耐えられず、2ヵ月後の6月7日には国王は皇太子、政府閣僚らとともに国外への脱出を決定した。

オーラヴ皇太子とマッタ皇太子妃〔PHOTO〕gettyimages

6月10日にホーコンとオーラヴはロンドンのユーストン駅に降り立った。駅頭には、ウィンストン・チャーチル首相が出迎えに来ており、2人を連れてすぐさまバッキンガム宮殿に案内した。

ホーコン国王の亡き妻は、イギリス国王ジョージ6世の叔母(父ジョージ5世の妹モード王女)にあたった。それからの5年間にわたりホーコンはイギリスでの亡命生活に入る。

ロンドンに借りた事務所では、毎日のように皇太子や閣僚たちと協議を行い、連合軍から得た情報をもとに祖国の解放に尽力した。

また国王は、BBC(英国放送協会)のラジオを通じて、ノルウェーの国民に希望を捨てないように訴え続けた。ロンドンでは「自由ノルウェー」を立ち上げ、「すべてをノルウェーのために(All for Norway)」を標語(モットー)に、国王は寝る間も惜しんで活動を続けた。

そしてついに待望の時が訪れた。1945年5月8日にドイツが降伏した。その5日後、先遣隊としてオーラヴ皇太子がまずはオスロに入った。さらに亡命からちょうど5周年にあたる6月7日に、72歳の老国王ホーコンが祖国の土を踏んだ。

アメリカから戻ってきたマッタ皇太子妃や孫たちにも再会し、宮殿へと向かう国王の乗る馬車を、歓喜する大勢の国民が取り囲んだ。宮殿前には13万人以上の市民が集まり、ここにノルウェーは解放されたのである。

ドイツ軍による占領後も、祖国デンマークにとどまって抵抗の意志を貫いた兄クリスチャンと同様に、亡命後もラジオを通じて国民に語り続けたホーコンは、ノルウェー国民にとって「ナチへの抵抗と祖国解放の希望」の象徴となり続けていた。

なお、ドイツ軍侵攻から徹底抗戦の決定に至るホーコン国王の動向については、2016年に制作のノルウェー映画『ヒトラーに屈しなかった国王(原題はKongens nei)』で詳細に描かれた。

アカデミー賞外国語映画賞にもノミネートされたこの作品は、封切りと同時にノルウェー全土で空前の大ヒットとなり、国民の7人に1人は鑑賞したとされている。日本でも2017年12月から全国で公開される予定である。