〔PHOTO〕iStock

「400万の護衛がついている!」ヒトラーに決して屈しなかった国王

国を守るとはどういうことか

おとぎの国の一徹王

2017年10月8日からの1週間、デンマークのフレゼリク皇太子とメアリ妃の夫妻が、日本を公式に訪れた。今年が日本とデンマークの外交関係樹立150周年にあたり、その記念事業を進めるデンマーク側の名誉総裁がフレゼリク皇太子なのである。

日本側で名誉総裁を務めるのは徳仁皇太子。フレゼリク皇太子夫妻の来日とともに、徳仁皇太子夫妻がお二人を歓待し、各種行事をご一緒されるとともに、東宮での夕食会も催した。

フレゼリク皇太子とメアリ妃と子どもたち〔PHOTO〕gettyimages

フレゼリク皇太子の母マルグレーテ2世女王は、在位45年を超え、国民からも絶大な信頼を集めている。しかし、彼女が生まれた当時のデンマークは、20世紀最大の国難のまっただ中にあったのだ。

1940年4月9日の早朝5時。

この国を10年以上にわたって首相として率いてきたトールヴァルト・スタウニングが、コペンハーゲンにたたずむアマリエンボー宮殿の窓をたたく大きな音が響いた。

首相は緊急に国王に会見を申し込んだ。たたき起こされたのは、これまたこの国に四半世紀以上も君臨するクリスチャン10世(在位1912~47年)。

当時69歳の老国王は、いつも冷静な首相の様子にただならぬ気配を感じ取った。ナチス・ドイツ軍がデンマークに急襲をしかけてきたのである。

宮殿の周りはすでにドイツ兵に取り囲まれていた。近衛兵が応戦したが、かなう相手ではなかった。16人の死者と23人の負傷者を出し、国王は閣僚、軍高官との相談の結果、午前6時には「降伏」を余儀なくされた。

大戦中はドイツがデンマークに各種の保護を与え、ドイツ軍も内政に干渉しないとの条件に基づく決定であった。形式的には政府もそのまま継続され、ナチス以外の政党活動もそのまま許可された。

ナチスとしては、デンマークを「モデル保護国」にし、北欧や西欧の他の国々に見せつけようとしていたのである。

クリスチャン10世の孫にあたるマルグレーテ現女王が生まれたのは、それからちょうど1週間後の4月16日のことだった。

 

ドイツの占領下にあった当初は合法的な抵抗運動が見られる程度にとどまっていたデンマークでも、ナチスによる締め付けが厳しくなった1943年夏から抵抗が激しさを増す。

全国に散らばっていたレジスタンスやサボタージュグループが「自由評議会」を結成し、各地でドイツ軍に反旗を翻した。サボタージュ参加者がドイツ軍によって処刑されるや、庶民はいっせいに職場を放棄した。

これにドイツ側は電気・ガス・水道をすべて遮断する対抗措置に出た。それでも市民は耐えぬいた。