「忖度による服従はするな」歴史に学ぶ、暴政から身を守る術

思考を放棄してはいけない
石井 妙子 プロフィール

後半生でアーレントは、ユダヤ人の大量虐殺を実行した元ナチス党幹部、アドルフ・アイヒマンのことを「怪物的な悪の権化ではなく思考の欠如した凡庸な男」と批評し、その結果、猛烈なバッシングを同胞のユダヤ人から受ける。アイヒマンを「悪魔のような残忍な人間」と表現しなかったために、彼の罪を軽く見ていると非難されたのだ。

しかし、彼女が求めたのはユダヤ人が納得する「理由づけ」ではなく、「真実」だったのである。だからこそ、発売当時はユダヤ人社会から叩かれたものの、今も世界中で読み継がれているのだと再認識することができた。

 

それにしても昨今、「フェイクニュース」だの、「ポストトゥルース(脱真実、真実後、と訳せばいいのだろうか)」だの、「オルタナティブファクト(もうひとつの事実)」だのと、かまびすしい。いずれも真実を絶対視しない考え方だ。

映像作家であり、ノンフィクション作家としても知られる森達也の最新刊、『FAKEな平成史』は、平成という時代を自分史と絡め、さらにはゲストを各章ごとに迎えて、ともに考察するという意欲作だ。

基本的には大変に面白く読み刺激も受けた。だが、テレビキャスターの長野智子をゲストに迎えた最終章は疑問を感じながら読んだ。

森が「事実はない。あるのは解釈だけだ」、「ほとんどの情報はトゥルースでありフェイクでもある」、「なぜなら情報を発信する人の主観が入るからで、主観を排除することなどできないからだ」と畳みかけ、長野も、「宗教や人種、国家やイズムなど置かれている立場によって、トゥルースは変わる」という考え方に共感を示している。

しかし、事実が存在しないのであれば、事実を追求することは無意味だし、事実に基づく追及をすることもできなくなる。これを一番歓迎するのは誰なのか。真実を放棄することは自由を放棄することであり、暴政を許すことにもつながっていくと私などは思う。

▼今回の3冊

『週刊現代』2017年10月28日号より

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