立憲民主党が肝心の「立憲主義」を勘違いしてどうする

いつまでガラパゴス議論を続けるのか
篠田 英朗 プロフィール

「リベラル保守」の内実は?

一般に人間は過去の「成功体験」にしがみつくあまり、新しい現実に対応することができなくなる。成功したという思いが強いと、過去と現在の違いから目をそらして、ノスタルジアに浸りつづける誘惑に陥っていく。

日本の場合、奇跡の復興、という20世紀後半の「成功体験」への思いが強すぎて、現状で存在している問題から目をそらしがちになる。高度経済成長がふたたび訪れることがないように、冷戦体制もふたたび訪れることはないことは、頭では分かっていてだ。

枝野幸男・立憲民主党代表は、「一億総中流社会」に復帰するためにアベ政治を打破することが、「リベラル保守」主義なる立場だと主張する。そのためには「安保法制は違憲だ」という意味での「立憲主義」を掲げることが必要なのだと言う(参照「立憲民主党・枝野幸男代表の『リベラル保守』主義について」http://agora-web.jp/archives/2028734.html)。

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だがそれではどういう体系的で具体的な経済政策や外交政策を推進したいのかを語ることはない。そんなことは野党の仕事ではないのだろう。

枝野代表は、かつての自民党のリベラル勢力をモデルとすると公言してはばからない。しかし20世紀後半の日本は、経済的条件だけでなく、外交的条件についても、今とは異なる状態に置かれていた。

 

冷戦時代とは、日本がアメリカの安全保障の傘に全面的に依存しながら自国の経済成長だけを目指しても、アメリカが何も苦情を言わない時代のことであった。さらに言えば、自民党政権が、二枚舌外交のような姿勢をとっていても、アメリカが何も苦情を言わない時代のことであった。

冷戦を戦い抜くことが至上命題であったアメリカにとって、日本の共産化を防ぎ、日本を同盟国として維持しておくことが、何よりも価値のあることであった。

そのため自民党政権が「国防費を増額すると社会党政権ができる」「集団的自衛権は憲法が禁止しているという解釈にしたので行使できない」と言っても、アメリカは黙っているしかなかった。

「一億総中流社会」の復活を目指し、アメリカと距離をとるために「集団的自衛権は違憲だ」ということにしておいたほうが賢い、などと主張するのは、もちろん政策論として不可能ではないだろう。

だが21世紀の現実に即した条件の中で、それらの政策をどのように達成するのかを論じるのでなければ、意味がない。「冷戦時代と同じようにやろう」と言ってみることには、政策論としては、何の意味もないのである。