「マウントパンチ」誕生の瞬間を語ろう~朝日昇インタビュー

最強さんいらっしゃい【第6回】
細田 昌志 プロフィール

そしてマウントパンチへ

──エンセンさん自身は、パンクラスに願書を送ってたらしいんですけど、入らなくてよかったってことですかね。

朝日 過程の話になってしまうのでエンセンがパンクラスに行っていたらどうなったかは分からないと言わざるを得ませんが、そうした部分において、エンセンはもっと評価されるべきだと思います。中井は中井でもちろん評価されるべき人間です。しかし、中井もわかっているでしょうが、「日本のブラジリアン柔術の祖」はエンセンだと僕は思っていますし、僕の周りの多くの人間からも同じような声を聞きます。

──まあ、中井さんも以前トークショーで、それをにおわすようなことをおっしゃっていましたね。

朝日 僕はブラジリアン柔術の人間ではないですし、誤認だったら申し訳なく思いますが、ブラジリアン柔術など日本に存在しなかったであろう化石の時代に生きた人間(笑)……としてそう思っています。僕自身は柔術はやったことはありませんが、エンセンが来たばかりの頃、毎週日曜はエンセンに柔術を習いました。

僕は柔道も知りませんが、高専柔道出身の中井は僕より容易に吸収したのではないですかね。エンセンはその後、桜庭(和志)さんとも練習をしていましたが「おそらく桜庭さんにとっても大きかったんじゃないかな?」とも勝手に思います。

──もちろん、わかります。

朝日 桜庭さんはすごく強いです。僕なんかとはまるでレベルが違います。大学レスリングのしっかりとした基礎を持つ桜庭さんがエンセンを通して柔術のエッセンスを得て、それを咀嚼し、芸とする能力があったんだと思うんですね。だから、あの時代のエンセンの存在は、日本の総合格闘技のレベルアップに決して欠かせないものだったことは間違いないと言い切れます。

──その前後からシューティングも変わっていきますね。

朝日 龍車グループという親会社が付きました。それでVTJ94(ヴァーリ・トゥード・ジャパン94)が開催され、ヒクソン・グレイシーが初めて日本に来る訳です。それで翌年のVTJ95と。

──あの大会ですね。

朝日 あの時、僕はセコンドに就いたんですが、控え室で中井が「今日でマイナーは終わりだ!オレはメジャーになる!」と言うようなことを叫んでいたのを覚えています。しかし、入場式などの絵を見ると、明らかに中井だけ縮尺がおかしな小ささ(笑)。元々中井はアタマがおかしかったですが、もう放っておこうと(笑)。

──中井さんは狂人だと(笑)。

朝日 それで、よく語られるようにゴルドー相手に中井が目を負傷しました。あの時は試合が終わる度に武道館の裏口に停めてあった救急車に連れて行き、そこにいたドクターに判断を仰いだんです。それしか方法が無いので。そこで言われたのが「強い打撃攻撃を眼に受けなければ、次の試合も大丈夫です。」ということだったんです。だから、試合に出場しました。しかし、確か、試合の翌々日に中井が「目が見えないんです」と。

──ええ。

朝日 それでまず東大宮の駅前の眼医者に連れて行ったところ、「ここでは無理だから、すぐ大きい病院に行って」と言われ、大宮の赤十字病院に行きました。そこで「20分以内に適切な措置を施さないとダメだった」と言われた時は愕然としました。僕らはドクターの話を聞くしか出来ませんし、「ドクターが許可したから、試合をしたんじゃねえかよ!」と。まあ、何を言っても後の祭りですが。

──そうでしたか……そういった犠牲を払いながらも、あの大会とあの一戦は、日本の総合格闘技を語る上でエポックな出来事でしたね。

朝日 間違いないでしょうね。あの大会は1995年4月に開催されましたが、僕はその1995年4月から日本プロシューティングに入社したんです。肩書きは修斗プロデューサー。実際の代表は佐山さんですが、今に倣い分かりやすく言うならば、サステイン代表兼修斗協会会長兼大宮ジム代表兼、「選手がいないから、選手やってよ~。」と佐山さんに言われ、時にメインイベンターもやるプロ選手と言うような具合でした。

──その時代の朝日さんを、なんとなく憶えていますが、確かに走り回っていらっしゃいましたね。

朝日 それまでは佐山さんが一人でやっていたから本当に大変だったと思うんです。そこで、僕には僕のアイディアもありましたし、時に色々な人の話も聞きながら、爆撃機のように前に進みました、あの時は(笑)。とにかく何も無いような状況だったんです。

だから、選手のプロフィールやこれまでの試合結果を色々な本をかき集めて作り出したり、アマチュアを整備したり、コミッションの前身となる審判部を創設したり、リングアナの台本を作ったり等々、まあ多すぎてあまり覚えていないのですが、フル回転で動き続けましたね。

──その上、メイン選手として試合にも出るという(笑)。

朝日 去年、USA修斗の中村頼永さんと約17~18年ぶりに会ったのですが、頼永さんからは「三権分立のシステム作ったの昇じゃん!」と言われたんですね(※三権分立=修斗協会・修斗コミッション・興行会社)。

──ほう。

朝日 それで「確かにシステムを作ったのは僕でしょう。佐山さんの許可を得ながら。しかし、僕は三権分立なんて言葉は使っていませんし、その使用法は間違えています。修斗における三権分立の言葉は誰かが何かを支配しやすいように適用し、時に多くの人が良い意味でも悪い意味でも誘導されたんです。」と話をしました。何れにせよ、多くの人達の助言や協力のもと佐山さんの許可を得て、今に連なる言わば修斗の近代化のベースを作ったのは僕だと思います。奇人なんですが(笑)。

──おお。

朝日 例えば佐山さんから「オランダのキックはクラスA、B、Cって分かれてて、Cはアマチュアなんだよ。同じように修斗にもCを作ろうと思うんだよ」と言われたので、「それは野球なら高校野球とか、ボクシングなら4回戦のような育成システムですね。それはあって当然ですね。では、どうしましょうか?」と言うように聞くと、「後はよろしく~っ!」と必殺技の丸投げが炸裂(笑)。

──無茶ぶりー!

朝日 後日クラスCのシステムの草案を提出すると、「いいねぇ~、これ。」と。僕はこういう作業が得意だったので、楽しみながらシステムを作っていましたが(笑)。

──文化系の家の出だから(笑)。

朝日 こんな具合に佐山さんが発案し、後は『丸投げ!』ということもありましたが(笑)、全体をイメージしながら必要な一つ一つの枝葉を構築していく作業は楽しかったですね。ただ、全て一人でやる時もあったので『ぐぁ~っ!』っとブチ切れたり(笑)、半年で休みが二日しか無く、一日はパスポートを取りに行くための休みだったりもしたので、時間的には大変でした(笑)。ただ、あの頃は修斗プロデューサーと言う肩書きのもと動いていたので強い責任も感じ「とにかく修斗を軌道に乗せねばならない」っていう思いだけで動き続けていましたね。

──となると、総合格闘技の黎明期に、そのルールを整備するときに、朝日さんのような文化系の血の入った人がいたことがいかに大きかったかって僕は思います。

朝日 だから、あの当時に色々なものを作り上げた強い自負はあります。そして、ある時佐山さんから強く言われた事が一つあるんです。「 これは会議を開く必要はない。時代は必ず来るから、皆にやらせろ」と。

──え、それはなんですか?

朝日 マウントパンチですよ。マウントパンチを入れたルールの採用です。

──ああ。そういえば、もともとシューティングルールでもマウントパンチは禁止されていたでしょう。マスコミも「ああいうのは野蛮」って書いてたし。

朝日 僕は佐山さんではないですし、それについて佐山さんと話をした訳でもないので佐山さんの本意は分かりません。考えられるのは佐山さんの嗅覚が「時代はいずれそうなる」と読んだんだろうなと言うだけで。いずれにせよ、その言葉を僕に話す佐山さんの雰囲気に「あ、これは来るな」というようなものを直感的に感じ、僕は修斗プロデューサーの立場として問答無用で佐山さんの言葉を断行しました。

──そうだったんですね。

朝日 しかし、反対意見も上がり、佐山さんのやり方に納得出来ず、修斗から離れた選手もいました。ひとまず佐山さんはマウントパンチ有りの「フリースタイルルール」と、無しの「ゼネラルルール」の2つを設置しましたが、あの時代においてはとても賢明な方法だったと今更ながら思います。もし、あの時佐山さんがマウントパンチ有りのルールの導入を発案していなければ、様々な歴史が変わっていた可能性もあります。どうなっていたんでしょうね。

──どうなっていたんでしょう。

朝日 僕は佐山さんのあの一言が今の日本のMMAが変わる一つのきっかけだと思います。あの時、反対する人間たちの意見を聞いていたならば、おそらく修斗の躍進は無かったでしょうし、その他もどうだったんでしょうかね。

──そうですね。その後リングスが「KOKルール」って作りましたけど、あれはマウントパンチなしで、「なんだよ、昔のシューティングルールと一緒じゃん」と思ったものですよ。

朝日 佐山さんは革命家だと思うんですよね。そうしたタイプは時の潮流に抗う訳ですから、その時点では理解されない。しかし、後年それがスタンダードとなると、改めて掌を返すが如く評価される。よく見られますよね、様々な世界で。僕は佐山さんのもと大宮の事務所で事務作業に奔走しながら、選手としても改めて頑張らなくてはならなくなったので必死こいて練習をし(笑)、選手連中には「こらっ!」と言い(笑)、とにかく凄まじい勢いで時が過ぎて行く日々でした。

──目まぐるしい時代だったんですね。

朝日 そんな姿を見て佐山さんが「朝日、大変だろう。お前はアマチュアとジムと選手に集中してよ。プロの興行部門には中井を入れるからさ」と中井が会社に入って来たんです。中井は眼のこともあり色々とくすぶっていたようで、 そういうこともあり中井を入れようと。ひとまずはプロの興行のマニュアル的なものはありますし、アタマも良いので、そうしたスタッフとしても中井なら大丈夫だろうと考えて。

──なるほど。

朝日 僕は佐山さんが現代のMMAの発端だと思いますが、もちろん異論がある方がいて当然でしょう。科学的検証なんて為されていませんし。まあ、こうしたことは永遠に解明されないテーマで、興味を持つ方々の間では論議され続けるんでしょうけどね。例えは少し違うかもしれませんが、卵が先か、ヒヨコが先かと言うよう話のように(笑)。おそらく佐山さん本人的にはあまり興味が無いかもしれませんが。