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日本に自由に出入りする「北朝鮮工作員」驚くべき実態

私が出会った北朝鮮工作員 第2回
竹内 明 プロフィール

選ばれるのは「新月の夜」

[写真]接線地点となった墓地にて、金元工作員と竹内氏接線地点となった墓地にて。右が金元工作員、左が竹内氏

この作戦では工作母船は使わなかった。半潜水艇が北朝鮮西岸、黄海南道・海州(ヘジュ)を出発、通常の2倍近い、7時間もの時間をかけてやって来た。

半潜水艇は通常、40ノットのスピードまで出せるのだが、速度をあげれば、白波が立つ。それを避けるために、ゆっくりとやって来たのだ。

「浸透、復帰に一番、適しているのは、月の出ていない新月の夜です。闇夜ならば発見されにくいですからね。

迎えに来る案内員は、当時は労働党作戦部の浸透復帰の専門の工作員たちでした。このように工作機関の中でも役割分担がはっきりしていました」(金元工作員)

 

復帰のときには大事なポイントがある、と金工作員は言った。

「意外に思われるかもしれないが、『お土産』です。江華島の接線地点に行く前、私たちは大型スーパーによって、ウイスキーやブランデー、タバコを買いました。案内員たちに渡すためです。

やはり、お土産をもらえば、仕事に手を抜かない。機嫌よく仕事をしてもらうためには必要なことです」(金元工作員)

金元工作員はこうして、伝説の工作員・李善実を無事、帯同復帰(仲間とともに帰国させること)させ、国旗勲章一号と共和国英雄称号をもらったという。

日本人拉致にも使われた手口

準備を重ね、新月の夜を選んで、海岸の復帰地点から北朝鮮へ――。こうした手法は、日本人拉致にも使われていたと、金元工作員は明かした。

「日本人を拉致していくのにも、工作員の復帰と同じ手法が使われていました。街中で拉致するのではなく、大抵は海岸線にいる人を拘束して、半潜水艇に乗せていました。そのまま北朝鮮に連れていくこともあったし、沖合で大型の工作母船に乗せかえて連れていくこともありました。

韓国は軍や警察の警戒が強かったのですが、日本は海上保安庁や警察の警戒も甘いですから、はるかに簡単でした。特に70年代や80年代は甘かった。無防備といってもいい。だから拉致が行われたのです。韓国と比べれば、日本は工作員にとって天国です」(金元工作員)

日本が北朝鮮工作員たちにとって、気軽に潜入できる場所だと考えられていたことは別の場所でも耳にしたことがある。私が取材した、北朝鮮工作員と接触した経験のある在日朝鮮人男性も「北の工作員は、『日本にタバコを買いに来た』と軽口を叩いていた」と証言していた。

金元工作員は、対南工作(韓国国内での扇動工作)を専門としたので、日本人拉致には直接、関わってはいない。だが、拉致を実行した工作組織の先輩や同僚たちから、彼らの手法についての話を聞いていたという。

「不意に襲い掛かられて、世の中に抵抗しない人はいないでしょう。だから、強力な麻酔剤を持参して、布にふくませて鼻に押し当て、意識を失わせた後、袋に入れて運んでいたのです」(金元工作員)