なぜパンダの故郷・四川では大地震が多発するのか

「生物地理学」の不思議シリーズ
青山 潤三 プロフィール

しかし、ヨーロッパ人には未開の奥地を目指す「目的」がもう一つありました。それがキリスト教の宣教活動です。宣教師の中には自然愛好家も多く、彼らが仕事の傍ら動植物の採集も行っていたわけです。その成果は実に膨大なもので、現在同定されている中国奥地の生物種の大半は、当時彼らが研究者とタッグを組んで記載したものです。

彼らの活動は、宣教も生物採集も、ともに命がけでした。幸いダヴィッド神父は73歳あまりの天寿を全うしましたが、彼の没年と同じ1900年には、40才ほど年少のイギリス人宣教師・生物収集家J.H.リーチが、現地で疫病にかかり夭折しています。

同じ頃、雲南省の奥地で宣教・採集活動にあたったフランス人宣教師ドゥベルナルドにいたっては、現地の村人に撲殺されてしまいました。余談ながら、筆者はドゥベルナルドが暮らした教会跡と彼の墓を訪ねたことがあるのですが、やはり現地人に見咎められて殴り殺されかけました。

 

ダヴィッド神父たちがめざましい活躍を見せた「黄金期」の後、20世紀に入ると、彼らの活動はピタリと途絶えてしまいます。当時の中華民国政府が、海外の研究者に門戸を閉ざしたのです。再び調査が始まったのは、ダヴィッドらの活動からおよそ100年後、20世紀も終盤になってのことでした。このとき、調査の主役はヨーロッパ人宣教師から日本人研究者に移っていたのですが、僅か10年経つか経たないかのうちに、再び研究活動は低調になりました。

理由はやはり、標本などの国外持ち出しを中国政府が禁じたから。良い悪いは別として、珍しい生物の研究は、それらの標本を欲しがってカネを出すコレクターの存在に依拠している部分もあります。まったく標本が得られないとなると、研究する意義が乏しいですし、そのうち予算も足りなくなって、人が離れてゆくというわけです。

ジャイアントパンダが棲むこの中国奥地一帯は、アジアの生物を研究する学者にとっては今なお「最重要地域」であることに変わりありません。しかし、世界の多くの研究者が「行きたいけれど、自由に採集活動ができない」というハードルに悩まされ、調査が先送りになっているのが現状です。もっとも筆者はコレクターでも正規の研究者でもありませんから、ゲリラ的に様々な調査研究活動を行うことができます(身の危険を感じたことは何十回とありますが)。

10年間で4回も大地震が…

現在、中国国立のパンダセンター・保護区が複数おかれているのは、前述した西嶺雪山の西側の山地・宝興県から北に10数㎞進んだエリアです。切り立った渓谷の周囲を、さらに5000m級の山嶺が取り囲むこの一帯は、筆者のメインフィールドのひとつでもあります。

パンダ生息地域近傍の集落(筆者撮影)

ここからさらに北に向かって、標高4200mの來金山の峠を越えればチベット文化圏に入ります。6250mの四姑娘山と4500mの巴朗山の東側には、かつて臥龍パンダセンターがありましたが、2008年の四川大地震で壊滅、移転を余儀なくされました。というのも、震源がこのセンターのすぐ傍だったのです。その後、センターは南側の宝興渓谷沿いに移転したものの、2013年には移転先の付近を再びM7.0の大地震が襲いました(雅安・芦山地震)。

実は過去10年の間、パンダ棲息地帯であるグリーンベルト、つまり四川省西部を縦断する「龍門山断層帯」で発生した大地震は、実に4回にものぼっています。 

2008年5月の四川大地震(M8.0)、2013年4月の四川雅安地震(M7.0)、2014年8月の雲南昭通地震(M6.5)、そして2017年8月の四川九賽溝地震(M7.0)。 

2014年の地震は、四川省ではなく南部に隣接した雲南省東北部で起こりました。奇しくもこの地域は、これまで雲南省には分布しないと考えられていたパンダが、2014年に初めて雲南省側から発見された、いわばパンダの「分布南限地域」です。

一方、パンダの「分布北限域」である九賽溝では、2017年に地震が起きています。あたかもパンダの棲息地を狙い撃ちするかのごとく、大地震が続いているように見えます。

パンダの故郷であるグリーンベルトは、4000m超級のチベットの山々と標高500mの四川盆地をつなぐ場所であり、その地下には活断層が横たわっています。複数のプレートが重なりあい、険しい褶曲山脈や火山を伴う地震の多発地は、異なる生態系が混じりあって、多様で複雑で魅力的な生物相を育みます。

まさに日本列島がそうであるように、こうした複雑な地質的特徴をもつ場所は往々にして、地震の巣であり、様々な珍しい生物がひしめき合い、異なる民族がぶつかりあう場でもあるのです。