「子供はいらない」と言えない人が抱えるモヤモヤを言語化してみた

ママたちを敵視するわけじゃないけど
吉田 潮 プロフィール

「わがまま」「自分勝手」と言われるけど…

混同されがちなのであえて書いておくが、「子供は産まない・いらない」と表明することと、「子供をもつことを否定する」のはまったく別の話である。私自身は子供が苦手で、欲しいと思わないけれど、子供が欲しいと願う人にはぜひ頑張ってほしいし、子供や子連れを敵視しているわけでもない。ごく平穏に、子供のいない生活を過ごしていて、寂しくもないし、かなり幸せでっせ~、と言っているだけだ。

私のように、子供はいらないという人たちは、子供に対して無愛想で不寛容と思われがちだが、代弁するならば「子供とどう接していいのかわからない」のである。

そして、子供をもって育てている人に対しては、ただ単純に「すごいな」と感服しているのだ。自分ができない・やらない・やりたくないことを1日24時間体制でこなし続けているのだから。自分には無理だなあと痛感しているだけなのだ。

 

そして、もっと本音を言えば、他人の子供や子育てに敵意や悪意もないが、関心も興味もないのである。友達の子供の名前や年齢を何度聞いてもまったく覚えられないのは、そういうことだ。毛嫌いしているとか避けているのではなく、本当にどうでもいいのである。私が興味あるのはその友達自身であって、友達の子供ではない。

こうした戸惑いや敬意を含めたスタンスを「子供を持つことを否定する」ととらえられると、困ってしまうし、それこそ本懐ではない。

さらに、子供がいない人には人それぞれの事情や背景がある。病気や体の事情で欲しくてもできない人もいる。はじめから子供をもつことを望まない人もいる。なんとなく機会を逸してしまい、はたと気づいたときには遅かった、という人もいる。

望まない人は、わがままだの自分勝手だのと言われることも多いようだが、少なくとも自分自身と、あるいはパートナーと向き合って、じっくり考えて、結論を出した過程があるはずだ。なかには、自分の親や義理の親と、心がきしんで擦り減るようなやりとりを経験した人だっている。

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長い人生をどう歩くか、それは個々人が自分で決めることだ。たとえ家族であっても、自分以外は他人であるというのを忘れてはいけない。そして、「産む・産まない」は他人がとやかく口を出すようなことではない。

単純に「子供は嫌いだから、いらない!」と思う人もいるだろう。私はそういう人の人生の選択も、決して否定したくない。それを否定したり、頭ごなしに説教するのもおかしな話だ。人には人の、人生の歩き方、歩く速度、選ぶ道があるのだから、大多数に合わせて強制するのは人権侵害だと思っている。

世の中、子供がいらないという人は存在しないかのような扱いが多い。たとえば、テレビドラマでは子供がいない人は描かれても、積極的に子供をもたないと断言する人はほぼ登場しない。劇中で、望まぬ妊娠をしてしまった女性は、たいていが産む決意をする。母になることを望む。産まない選択をする女性はほとんどいない。「女はみな産むのが当たり前」という暗黙の刷り込みが働いているとしか思えない。

でも、子供が欲しくない人も確かにいるし、潜在数は少なくないと思っている。女だけでなく男も相当数いるはずだ。そんな人たちの選択や決断を否定する権利は誰にもない。自分の「当たり前」が万人にとっての「当たり前」ではないことを知っておくべきだなあと改めて思う。