高校野球が空前の「大ホームラン時代」に沸く原因がわかった

道具が変わったわけではない
二宮 清純 プロフィール

今では高校野球の代名詞となっている金属バットが甲子園に登場したのは1974年の夏である。センバツでは、わずか1本だったホームランは11本と急増した。

金属バットの破壊力に目を付けたのが、“攻めだるま”の異名をとった池田(徳島)の監督・蔦文也(故人)である。校歌にも出てくる「阿讃の嶺」に抱かれた池田のグラウンドは狭く、レフトのフェンスまでは95メートルくらいだった。ネットの向こうは国道32号線。普通の指導者なら打球の方向が気になるところだ。

 

ところが、蔦は「ネットを越えていけ!」と選手たちに発破をかけ、1982年夏、83年春連覇の原動力となる“山びこ打線”をつくり上げた。超攻撃野球に特化した理由を蔦はこう述べている。

〈攻撃を主にしてやっておった場合、積極的になるんですね。この方が勝つ率が多いです、やっぱし。高校野球は金属バットでしょう、得点が入る率も多いからね。

経験からいうと、消極的にバントとかそういう戦術を使うたときは負けるね。なぜかちゅうたらね、バントでは1点しか取れんでしょう。大体そういうようなケースが多いですよ。そういうときはその1点を争う、非常に危ない、はらはらするようなゲームになってきますから、かえってプレッシャーかかるような気がするんですね〉(『強うなるんじゃ!』 蔦文也VS山際淳司 集英社)

バットの重量制限も無意味

池田が初の全国制覇を果たした82年夏、ホームラン数はこれまで最多だった79年の27本を上回り32本に達した。そして85年夏、優勝したPL学園(大阪)の主砲・清原和博は一大会5本の最多ホームラン記録をつくる。

このいわば“アンタッチャブル・レコード”を32年ぶりに抜き去ったのが広陵の捕手・中村奨成である。そればかりか塁打(43)、打点(17)でも最多記録を塗り替えた。

夏の甲子園が始まるまでは、打撃よりも肩やフィールディングの方に注目が集まっていた。ところが大会が始まるや、打つわ、打つわ。右に1本、右中間に1本、中に1本、左中間に1本、左に2本。しめて6本。清原も顔負けの広角ホームランはネット裏のスカウトを驚愕させるに十分だった。

元巨人チーフスカウトの中村和久の中村評はこうだ。

〈ノーステップで打つ打者が増えている中で、しっかり足を上げて打つ。軸足に体重を乗せ、ため込んだ力をボールに伝えるから、遠くまで飛ばせる。さらに腰を鋭く回転させて打つため、厳しい内角球もさばける。「見逃すかな」と思ったら、パッとバットが出てくるイメージだ〉(スポニチ8月24日付)

本人によると、巨人の坂本勇人のフォームを参考にしているという。トップの位置を高く保ち、腕をしならせるように振り抜く技術は、とても高校生のそれとは思えない。

広陵の関係者によると、中村は日頃から坂本の打撃を動画でチェックし、自らのフォームの画像と擦り合わせることで、ミスショットの減少に努めているという。まさにIT時代の申し子のような強打者と言えよう。

現在、高校生が使用できる金属バットの重量は900グラム以上と規定されている。なぜ、900グラム以上なのか? この規定が設けられたのは2001年秋だが、当時の高校生の体力や筋力からして、900グラム以上のバットを使いこなすのは困難だと高野連は判断したのである。

要するに多少重めに設定することで、ホームランの量産を防ごうと考えたのだ。

ところが、である。先述したように筋トレや栄養指導、あるいは情報量の増加により、重量制限はあまり意味をなさなくなった。高校野球におけるホームランの適正数とは、どれくらいなのか。そうした議論さえ巻き起こしかねないホームラン狂騒曲は、来年以降も続きそうだ。

(つづく)

読書人の雑誌「本」2017年10月号より

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