ガン発見に耐性菌退治…最新医療の要「ふしぎなATP」の底力

生命の本質につながる物質
ブルーバックス編集部 プロフィール

作って、運んで、くっついて…

ATPの構造を見ると目を引くのが、3つの「リン酸」でしょう。このリン酸もまた、生命には欠かせない物質のひとつです。

18 世紀の末までには、生物をつくる物質は複雑だけれども、物質を構成する元素には偏りがあることが科学者たちの間で知られていました。天然に存在する90 種以上の元素のうち、生物にとって不可欠なのは、ほぼ30 種。さらに、そのなかで中心になる元素は炭素、酸素、窒素、そしてリンです。生物の身体は、この4つの元素がつくるたくさんの化合物によって構成されています。

なかでも、地球上にリン酸が存在していたことは生命誕生の上でこの上ない幸運であり、またその後、生物がエネルギーとして利用する上でもラッキーでした。なぜなら、リン酸は非常に多機能で、生命にとって使い勝手のいい物質だったからです。

たとえば、弱酸であるリン酸は、周囲のpHに応じて、3つまでの水素イオンを解離させることができます。このリン酸が細胞内に高い濃度で存在することで、水素イオンを段階的に解離させ、水素イオン濃度を調整して細胞内のpHを保つこともできるのです。

また、リン酸はグルコースなど糖の水酸基(-OH)に結合することができ、この性質は糖を利用する代謝の過程や、遺伝子の構成などで重要な役割を果たしています。

進化の過程で、ATPという非常に便利な物質と出会った地球上の生物は、いまやエネルギーを必要とする、ほとんどあらゆる過程でATPを使っています。たとえば、筋肉の運動、細胞小器官の移動、細胞内へのイオンや栄養物質の取り込み、ホルモンや酵素の分泌、脳の活動や神経の伝達などがあげられます。

しかし実は、ATP という分子は「エネルギーの運搬役」としてだけではなく、細胞内で驚くほど多様な役割を担っているのです。

たとえば、遺伝物質の材料という役割。ATPは、DNA(デオキシリボ核酸) の材料として必須のものです。また、タンパク質をつくるのに必要なRNA(リボ核酸) の構成要素にもなっています。

さらに、ATPは、体内の多くの分子にリン酸基を結合させる(これを「リン酸化する」と呼びます)ためにも使われます。たとえば、細胞がホルモンの情報を処理する過程では、情報の伝達にかかわるタンパク質がATP によって次々とリン酸化されることも、よく知られています。

生物はATPを作り、運び、材料に使ってあらたな化合物に作り替えることを繰り返しながら、生きているのです。

近年では、こうしたATPの多様な役割のうち、酵素に関わるメカニズムも解明されるようになってきました。それに伴って、ATPを使って筋肉の収縮と弛緩が起こったり、骨の形成と吸収や、神経伝達に関わったりする仕組みもわかってきました。

そして、こうしたATPの機能を、医療分野で利用する方法も開発が進められています。なかでも注目を集めているもののひとつが、ガン診断への応用でしょう。

「どんなガンか」もわかる

実は、急速に増殖するガン細胞は、そのエネルギー源として多量のグルコース(糖)を取り込むことが知られています。ガン細胞は低酸素状態でも、このグルコースからATPを生産することができるという特徴があり、腫瘍学ではこれを「ワールブルグ効果」といいます。

このワールブルグ効果を利用して、組織のなかでどこにガン細胞があるのかを見えるように(画像化)する方法が、FDG-PETと呼ばれる画像診断法のひとつです。

PETとは「ポジトロン断層法」といって、体内に注入した放射性物質が出すガンマ線を検出することで、特定の性質を持つ細胞がどこに多く分布しているかを視覚的にとらえる検査法です。

FDG-PETの「FDG」とは、「フルオロデオキシグルコース」といって、ガン細胞が好むグルコースに似ていますが、ガン細胞に代謝されずにとどまる化合物の名前です。ガン細胞もまた、大量のATPを利用していることから、こうした診断法が可能になってきたのです。

ATPがどのような細胞で、どのように使われているかの研究がさらに進むことによって、ガン細胞の性質まで診断ができる可能性もあります。さらに、下の表にもあげたようなさまざまな医療分野で、ATPの視点から新しい治療法や診断法が開発される可能性があるのです。

生物エネルギー研究の対象とその応用

興味深いことに、ATPの研究は、感染症対策にも応用されようとしています。

「細胞内に入ったグルコースから、ATP合成に至るメカニズム」は、ヒトや動物の細胞内でも、細菌や微生物の細胞内でも、ほぼ似通ったものが使われています。